オノ セイゲンインタビュー『「真夏の夜のジャズ4K修復版」Blu-rayの5.1chサラウンドはモノラルから作られた』
ジャズのドキュメンタリー映画の金字塔とも言える名作「真夏の夜のジャズ」の4Kリマスター版がBlu-rayで2021年8月4日に発売となりました。その本編のサウンドトラックには5.1ch (48kHz/24bit)とモノラル (96kHz/24bit・2chモノラル)の両方の音源が収録されていますが、これを手掛けたのがデノンブログにご登場いただいているプロデューサー/録音エンジニア、オノ セイゲンさん。今回はその音声トラックのマスタリングと5.1chサラウンド制作プロセスや様々な制作手法について、デノンのAVアンプの設計者である高橋佑規との対談形式でお話をうかがいました。
※オノ セイゲンさんと高橋佑規との対談はリモートで行われました。
「真夏の夜のジャズ」とは?
アメリカ合衆国の東北部、ロードアイランド州ニューポート市で1954年から続く「ニューポートジャズフェスティバル」。1958年の7月3~6日に開催された第5回のフェスティバルの様子を記録したジャズのドキュメンタリー映画です。
登場するのは、ルイ・アームストロング、セロニアス・モンク、アニタ・オデイ、チャック・ベリーなどレジェンドたち。彼らの迫力のパフォーマンス、それを楽しむ当時のアメリカのおしゃれなオーディエンスたち、そして同時開催されていたアメリカズカップ(ヨットレース)などを、当時新進気鋭の写真家だったバート・スターンが映像に収めたものです。
作品:「真夏の夜のジャズ」4K修復版Blu-ray
発売日:2021年8月4日(水)
価格:6,380円(本体5,800円+税10%)
発売・販売:株式会社KADOKAWA
©1960-2019 The Bert Stern Trust All Rights Reserved.
【演奏者】
- ルイ・アームストロング
- セロニアス・モンク
- アニタ・オデイ
- チャック・ベリー
- ジミー・ジュフリー
- ソニー・スティット
- ジョージ・シアリング
- ダイナ・ワシントン
- ジェリー・マリガン
- ビッグ・メイベル・スミス
- チコ・ハミルトン
- マヘリア・ジャクソン
©1960-2019 The Bert Stern Trust All Rights Reserved.
【スタッフ】
製作・監督:バート・スターン
撮影:バート・スターン、コートニー・ハフェラ、レイ・フィーラン
編集:アラム・A・アバキャン
音楽監督:ジョージ・アバキャン
本編83分+特典映像/1959年アメリカ/1.英語 リニアPCM 2.0cモノラル(96kHz・ 24bit)2.英語 リニアPCM 5.1ch (48kHz・ 24bit)/スタンダードサイズ/2層ディスク
©1960-2019 The Bert Stern Trust All Rights Reserved.
真夏の夜のジャズ公式ウェブサイト(外部サイト・予告編が視聴できます)
https://cinemakadokawa.jp/jazz4k/index.html
このたび発売される『「真夏の夜のジャズ」4K修復版Blu-ray』の音声トラックには、世界的エンジニア、オノ セイゲン(サイデラ・マスタリング)がリマスタリングを行い、本国からオーソライズされた新たな5.1ch (48kHz/24bit)と2.0ch mono (96kHz/24bit)が収録されました。今回はその音声トラックの制作プロセスや様々な制作手法を中心にインタビューを行いました。
「真夏の夜のジャズ」とは?
●オノさんはどういう経緯で「真夏の夜のジャズ」の音声トラックを担当することになったのですか。
オノ:インディペンデント・フィルムやヨーロッパの名画のフィルムの修復やリマスターの際は「より伝わる音」で届けるために、音声もマスタリングするべきだと言い続けてるのが伝わったんですね(笑)。アドバイザリー・スタッフでもある山下泰司さん(株式会社WOWOWプラス/Cinefilレーベル)からの紹介です。「真夏の夜のジャズ」はジャズドキュメンタリーの超名作で、好きな映画ですからぜひ僕にやらせてくださいと。山下さんとは、もう38タイトルもの名画の Blu-ray化の音声トラックのリマスタリングをしてきました。
サイデラマスタリングの過去の作品はこちら(外部サイト)
そして、KADOKAWAの大橋プロデューサーと山下さんが最初の打ち合わせに来た時は、「ついに来た~、この映画の音やりたかったんですよ」とコロナ禍ですから2メートル離れて、コーヒー飲みながら世間話しながらパソコンでサラッと横目(正面でなく)で見ながら「受託しました」と。
取材はオノセイゲン氏が主宰するサイデラ・マスタリングで行われた
この映画に記録されたのは1958年のニューポートジャズフェスティバルだけど、ジャズフェスの走りだし、監督のバート・スターンは当時は時代の先端をいくファッションフォトグラファーだったので、映像もおしゃれで、しかもたまたまその時アメリカズカップのヨットレースもやっていたので、ヨットや街の様子も入れた、スタイリッシュなドキュメンタリー映画なんですよ。ある意味、音楽ビデオの走りでもあった。でもまだフェスとしては牧歌的で、ジャズフェスが今みたいにでかいイベントになるなんてことは、その当時は考えていない様子も良くわかります。
©1960-2019 The Bert Stern Trust All Rights Reserved.
高橋:「真夏の夜のジャズ」の音声トラックのオリジナルマスターはステレオだったのですか?
GPD プロダクトエンジニアリング 高橋佑規(リモート参加)
オノ:それが、マスター素材(DCP=Digital Cinema Packageから抜いたWAVデータ)が届いて初めて気がついたんですけど、なんと「疑似ステレオ」だったんです。2つのスピーカーの真ん中に座れば誰でもわかる。あれ?これはステレオじゃない。センター定位ない! まさか、擬似ステレオだよ!懐かしい、どうしよう? でも受託した仕事を断るわけにはいきませんから、まず相談からでした。「どうしましょう?この擬似ステレオのままマスタリングするんだったら、僕の名前はクレジットできません」と。
マスタリング作業に入る前に、僕が提案したのは、「まず疑似ステレオをモノラルに戻しましょう」ということでした。このままではリマスターできないので、モノラルに戻していいかをアメリカの原盤元に問い合わせてもらいました。
当時のほとんどのレコードの音は、ジャズの王道の音、モノラルです。この映画の音楽監督であるジョージ・アバキャン(George Avakian)がジャズにはそれほど詳しくないバート・スターン監督に提供した音はこうだったはずです。モノラルの音楽マスター。僕はアナログテープ録音の物理的な特性は熟知していますから、マスタリングでは決してデフォルメせず、目指したのは「こういう音でテープに入っていたはずだ」という音です。こちらはBlu-rayには96kHz・24bitのリニアPCMで収録しました。
ジョージ・アバキャンがこのコンサートの音楽収録のキーパーソンで、当時、Decca、コロムビア、RCA、Warner Bros.などのレーベルで、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン、ルイ・アームストロング、フランク・シナトラからマイルス・デイヴィスまで錚々たるアーティストのプロデューサーとして関わってるんですね。グラミー賞のレコーディング・アカデミーの元となるNARAS (National Association of Recording Arts and Sciences)の創始者の一人であるだけでなく、すでに第1回のニューポートジャズフェスティバルでマイルス・デイヴィスを見つけてコロムビア・レコードとの契約にすすめたのも彼ですね。
出展:https://en.wikipedia.org/wiki/George_Avakian#Early_life_and_career
この映画を作ると決めた監督であり、写真家であるバート・スターンは、音楽の録音のためにコロムビアのジョージ・アバキャンのチームに声をかけた。そして、収録された音源から、映像で使うアーティストのどの曲を、どのくらいの尺で使うかという相談が、スターンとアバキャンの間で行われたのだと思います。
そしてこの映画用サイズの編集というのが、かなり複雑なことをやっています。同じステージの演奏から誰かのソロを丸々抜いたりして3分縮める、とか、そんな簡単なやり方だけじゃないんです。なんでそれが分かるかと言うと、この年のニューポートのステージでの録音を、自分のライヴ・アルバムとして出しているアーティストが何人かいて、そちらと映画の音を比べてみたんです。そうすると、映画の方は、イントロ部分だけ同じ演奏の後半から持ってきたり、演奏をゴソッと抜いた部分が不自然に聞こえない様にどこかのドラムフィルを持ってきてつないだり。こういうことが出来るのは、やはりジャズのレコード・プロデューサー経験のあったジョージ・アバキャンのチームでないとできなかったと思うんですね。因みに、映画の編集をやっているのは、ジョージの弟のアラム・アバキャンです。
これはジャズ・フェスティバルのドキュメンタリー映画と言いながら、映像の半分以上は演奏シーンではないんです。むしろ客席の美女だったり、海に浮かんだヨットだったり、ニューポートの街の風景だったり。当時まだ28歳だったバート・スターン監督は、写真の仕事から派生した、雑誌のアート・ディレクターもやっていて、後の広告業界のスタイルを確立した人でもあると言える。なので、この映画も演奏をきっちり聴かせようというよりは、ジャズにそんなに詳しくない人でも、映画として楽しめるサイズに、演奏の美味しいところだけを編集してあるんです。コロムビア・レコード時代のマイルス・デイヴィスのプロデューサーのテオ・マセロしかり、録音芸術とは「編集」により完成するんです。そうそう、マイルスと言えば、この年のニューポートには彼も出ていて、音源はレコードで出ていますが、スターン監督が映像は撮ってなかったそうで、それは実に惜しいなと。
高橋:しかし、ジョージ・アバキャンによる編集とは非常に面白い推論ですね。ジャズへの造詣があまり深くないバート・スターン監督が何故ここまで過不足なく、美味しいところばかりを集めたジャズファンも納得させるだけのジャズドキュメンタリー制作を成し遂げられたのか、それであれば納得することができます。それにしても、この映画のサウンドトラックには無駄な部分が無い。本当にそれは思いますよ。もしサウンドトラックの作り込みが冗長だったとしても素晴らしい作品には違いないでしょうが、ここまでの完成度にはならなかったのではないかと思います。
オノ:その通りです。ノーカット版が観たいというジャズファンの気持ちはわかりますが、それではここまで名作にはなりませんでした。
●「疑似ステレオ」とはなんですか。
オノ:この映画が撮影された1950年代末、まだレコードはほとんどモノラルで、ステレオは登場したばかりでした。街の電気店はステレオ・プレーヤーを売りたいのにまだまだステレオのレコードが少ないわけです。当時、ステレオはモノラルのそれより1ドルほど高かったんですが、レコード会社は簡単な方法でその利益を稼ぐために、元々モノラルだった録音を電気的に2つの信号に分けて「疑似ステレオ」のレコードを作ったのです。1958年から70年代までいろんなレーベルがいろんな呼び方で疑似ステレオのレコードを出していて、たとえばキャピトルは「Duophonic」という名称でビートルズを出したし、コロムビアは「Stereo 360 degree sound」とか「Electronically Re-channeled for Stereo」とジャケットに書いて、マイルスの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」なんかを出した。
技術的には位相操作やイコライジングも少し入れて、LとRで8msくらい時間差をつけて、遅い方のチャンネルのレベルは6dBか7dB下げるんです。そうすると音が広がって聴こえます。オリジナルのモノラルのしっかりした音とは印象がガラッと変わりますが、これがまた軽快な音で(笑)、悪くないんですよ。
出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/デュオフォニック
この「真夏の夜のジャズ」は今年の頭に、アメリカでBlu-rayが出ました。これは、日本の映画館でかかっているDCPと同じマスター音源なので、僕が最初に受け取った素材と同じ疑似ステレオの状態でリリースされたわけです。今回、資料で15年くらい前の輸入盤DVDも預かって、それにはドルビーデジタルの5.1chが入っていたんですが、これは疑似ステレオをディレイで広げたさらなる疑似5.1chだったので、これには驚きましたね。
モノラルの方のマスタリングの目処がついた頃から、「新規の5.1チャンネルを作りませんか?」という提案をしました。過去にあんなテキトーな(笑)5.1chでDVDが出ていたんだから、どうせならもっとちゃんとしたものを作ろうよと。2021年の今なら、プラグインなどの技術で反射音を分離して、さらにスペクトラム解析など信号処理技術も駆使して、より臨場感のある5.1chを作れる。ただし勝手にやるわけにはいかないので、作業を始める前にKADOKAWAからアメリカの権利者に確認を取ってもらいました。「将来アメリカでも使っていいならOK」ということで、つまりオーソライズされたわけです。というわけで、今回のBlu-rayには、94kHz/24bitのオリジナル・モノラルのトラックと、まだどこにも出ていない新規の48kHz/24bitの5.1chの両方の音が収録されることになったんです。
高橋:正直なところ、これまでこの作品のサウンドクオリティや音声フォーマットに関しては殆ど気にしていなかったんです。セイゲンさんが新しく製作した5.1chのサラウンドサウンドは、まさに今回の発売におけるハイライトですね。ちなみにこの5.1chのマスターは今回劇場公開となる映画館の方では聴けないのでしょうか。
オノ:去年から今年にかけて映画館で公開されている4K修復のDCPは、音は僕がマスタリングする前の擬似ステレオです。だから聴けないんですよ。僕が手掛けたのは、8月4日発売のBlu-rayですから、5.1chのサラウンドはホームシアターを持っている人しか楽しめません。ホームシアターをお持ちでない方は、このソフトを楽しむためだけに、一式揃えても後悔しないです。ソフトとハード買っちゃいましょう。万一、AVC-A110を購入されて気に入らない方がいたら引き取りますよ!うちのスタジオは、AVC-A110とAVC-X8500Hが2台体制ですが、AVC-A110がもう1台必要なので(笑)
実は映画館では擬似ステレオしかかかっていないので、主にジャズの評論家の方にお声がけして、1回だけですがKADOKAWAの試写室で5.1ch試写会をやったんです。自分で言うのもなんですが、大変に評判がよかったです。
さらにオーディオ・ヴィジュアル評論家の山本浩司さんが「月刊HiVi」誌でインタビューしてくれたのです。10年ぶりに会ったらコロナ禍で妙な同級生感、なんで2人ともハワイアンのシャツかは置いておいて、カラー4ページですよ!8月16日発売の「HiVi(ハイヴィ)」 2021年9月号、ぜひご一読ください!
オノ セイゲンとオーディオ・ヴィジュアル評論家の山本浩司氏 株式会社KADOKAWAにて
HiVi(ハイヴィ) 最新号・バックナンバー
https://www.stereosound-store.jp/fs/ssstore/c/bss_reg_hv
96kHz/24bit のモノラルは映像がなくても楽しめるクオリティ
●高橋さんはもう「真夏の夜のジャズ」4K修復版Blu-rayは試聴されたそうですが、モノラルトラックの感想をお聞かせください。
高橋:モノラルマスターの音は、本当に凄く良かったですよ。前回のオノさんとの対談で、Verveレーベルのオスカー・ピーターソンの名盤「We get request」でのオノさんのリマスタリングのお話を聞いてとても感銘を受けました。特に「リマスタリングは『名画の修復』のアプローチ」というのが素晴らしいとお話しましたが、今回の「真夏の夜のジャズ」のモノラル音源のリマスターは、まさに名画の修復の世界だと思いました。これは音だけでも十分楽しめるクオリティです。
オノ:ありがとうございます。1958年のモノラル音源、フィルムから起こした音の傷の修復から始めてここまで再現できました。そして、5.1chは「ホームシアター持っててよかった!」という仕上がりです。
高橋:今は、モノラル盤はとても人気がありますよね。50年代当時の黎明期のステレオ録音が必ずしも完成されたものであったとは言えないですし、当時の名盤はモノラルに限るっていう考え方は多いと思います。
オノ:58年当時はステレオがまだ始まったばかりで、モノラルが当たり前だった時代ですからね。ですからモノラルのいいレコーディングがいっぱいありました。
この映画の音をどのタイミングで疑似ステレオにしてしまったのか今となってはわかりませんが、ポジティブに言うなら、あの擬似ステレオの、ホテルのプールサイドのBGMみたいな軽い、ちょっと広がったリゾート感の感じ。それはそれでいいと思いますよ。もちろん、レコーディングの原音とは違いますよ。でも、映画だからそれもありで誰も気にもしてなかった(笑)。僕だってこの映画のことはもちろんどこかで観てるし知っていましたが、仕事として預かるまでは、まさか擬似ステレオだったなんて、冒頭の最初のミーティングの時は気にも止めなかったですから。仕事モードで聴いてはじめて、「待てよ、これ擬似ステレオじゃないか!」って。
製作・監督:バート・スターン ©1960-2019 The Bert Stern Trust All Rights Reserved.
パンニングと初期反射音を駆使してモノラルから作り上げられた5.1chサラウンド
●新規に作った5.1chのほうですが、一体どうやったらモノラル音源から5.1chが作れるんですか。
オノ:新規に作ったといっても新たに音を足したりは一切してません。単にリバーブを加えるのではなく、モノラル音源から反射音を分離したり、取り出した反射音をどのぐらい後ろに持っていくか、画面を見ながら反射音の場所と距離を想定して置いていくわけです。「真夏の夜のジャズ」ってジャズのドキュメンタリー映画と言いながら、シーンが野外になったり室内になったりするんです。車でバンドが演奏しながらやって来て、ステージに変わる。だったら最初は外っぽい音で、最後はステージっぽい音にしたいですよね。
©1960-2019 The Bert Stern Trust All Rights Reserved.
●具体的にはどうやるんですか。
オノ:モノラル音源でも拍手部分だけを後ろのスピーカーにパンニングしてやるとリスナーは会場にいる気持ちになります。そのままではダメで、音楽が始まると画面に合わせて前。野外ステージ、室内、バー、港、空撮のヨット、それぞれのオブジェクトからどっちの方向にどんな反射音が画面と合うかを見極める。5.1chでは映画に合わせて最初はいかにも車で遠くから聴こえているような音にするのです。ステージのシーンではライブステージの音になるように作ってます。
たとえばステージでの演奏のシーンでは前から演奏音を出し、後方には演奏している場所に反射音を、会場の大きさを考えたディレイをつけて置きます。そして演奏が終わって拍手が鳴ったら切り返して拍手を後ろに持っていくわけです。たとえばサッチモ(ルイ・アームストロング)が曲間でトークをする、するとお客さんがワーっと笑ったりします。そのサッチモのMCは前に、サッチモがしゃべり終わってお客さんの拍手や笑いでワーってなった瞬間に音を後ろにもっていく。単に切り返しですが、それでぐっとリアリティがでる、拍手が後ろから来るだけでライブらしく盛り上がるんです。
一方でモノラルに切り替えた時の音は、何もデフォルメしない色もつけない、ジャズの王道、モノラルレコード的な音にしています。
ルイ・アームストロング ©1960-2019 The Bert Stern Trust All Rights Reserved.
●モノラルからの5.1chにするために、初期反射音を取り出して想定される場所に配置するという技術を駆使しまくった、ということですか。
オノ:駆使しまくった!この5.1chバージョンは、すごく立体感が出ました。元の音からパンニングや16chくらいの方向への別々のディレイやIRでデフォルメしています。しかしディレクターズカットを作っているわけではありませんから、SEや拍手などは一切足していません。拍手があるシーンはパンニングして反射音もまたグッと入れ替えるという、とても地味で細かい作業、切り返しクロスフェードを根気よくやりました。新規の5.1chといっても納得してもらえる内容になったと思います。
●モノラルからでも、かなりいろいろできるんですね。
オノ:いまはミックス音源から楽器音と初期反射音を分離したり、取り出すことができます。古くは、NTT コミュニケーション科学基礎研究所が開発した残響制御技術“Revtrina”のような直接音と残響を分離する技術などがありますが、このあたりについては穴澤さん(「デノンを作った人穴澤 健明さん 」)が詳しいですね。
それを使っているのか、他の技術を使っているかは、ここでは言えませんが、今回のモノラル音源はさすがに大変でした。ワンポイントでステレオあるいは5.0chでマイク収録された音源であれば、それをサラウンドにしたりイマーシブにすることは、収録された場所に美しい響きがあり、録音がよければ可能です。逆にマルチチャンネル収録で、後からデジタル・リバーブを加えてミキシングされた音源は不自然になります。その場合は、マルチトラックからリミックスすれば良いのです。
もっと重要なのは2000年のNYC、クリントンスタジオでスタジオライブ録音した「Maria and Maria / Seigen Ono」では、スタジオ内には立体のリバーブをセットアップ、ワンポイント5本のマイク・ツリーがあります。「モノラル」である演奏者自身がマイク・ツリーの周りを歩いて回る、その方がよっぽど効果絶大なのです。信号処理だけに頼ってはいけません。前にも言ったかもしれませんが、僕は2011年はベルギーGalaxy StudiosでAURO 3Dの音楽録音のプレゼンターをしていたこともありますし、1999年 SONY サンプリング・リバーブ「DRE-S777」などの開発参加など、それは常に楽器の音色のこと、つまりダイレクト音と反射音のことでもあるんですが、そんなことばかり考えていますので、職業柄、空間の反射音は見えています(笑)
「Maria and Maria / Seigen Ono」(Super Audio CD Multi-ch format 5.0ch/2ch)
https://saidera.co.jp/sr/mm.html
いずれにしてもイマーシブを作るときに重要なのは、初期反射をどこに持っていくか、なんです。初期反射の音って、ほとんどの人は気がつかない、と言うか気に留めていません。床の反射音や天井、壁の反射音、あるいはスタジアムだったらドパーン、ドパーンみたいなディレイ、響き、武道館であればドアーンという反射音がある、それを聴いていると、これはどんな室内の響きだな、これはテニスコートの音だなとかって、実はみんなわかるんです。その初期反射音群を、あるべき所から、あるべきタイミングで鳴らすことができれば、空間が再現できます。それが空間情報ということです。
●高橋さんは「真夏の夜のジャズ」の5.1chを聴かれてどんな印象でしたか。
高橋:拝聴しましたが、こちらも驚くほど良い音でした。まずベーシックなサウンドのイメージとしてトランジスタアンプで聴いているのに、状態の良い真空管アンプで聴いているみたいでした。音量ではなく、音がデカい、一つ一つの楽器の音が肉厚で太い、存在感のある血の通った音です。サラウンドの反射音のバランスは絶妙で、こんな芳醇でリッチな音で「真夏の夜のジャズ」が楽しめるなんて最高です。そして新しいサラウンドミックスの部分ですが、セイゲンさんがいろいろと駆使して作り込んだ部分を感じさせないくらい自然な仕上がりで、オリジナルマスターがモノラルとは全く信じられないです。
●これはぜひ、デノンのAVアンプで聴いていただきたいですね。
高橋:はい。セイゲンさんもミキシング、マスタリングの過程でAVC-A110をご愛用頂いているとのことで、デノンのAVアンプをお持ちの皆様には、是非聴いていただきたい作品です。
●ありがとうございました。「真夏の夜のジャズ」のBlu-rayの試聴、楽しみにしています。次回もぜひ、オノ セイゲンさんと高橋さんのインタビューをさせてください。
SEIGEN ONO(オノ セイゲン)
(『真夏の夜のジャズ』2021バージョンのマスタリング・エンジニア)
1978~80音響ハウス在籍。1982年以来、坂本龍一、渡辺貞夫、三宅純、ビル・フリゼール、ジョン・ゾーン、マーク・リボウ、 アート・リンゼイ、ラウンジ・リザーズ、オスカー・ピーターソン、マイルス・デイヴィス、キング・クリムゾン、マンハッタン・トランスファー、デヴィッド・シルヴィアンなど多数のアーティストのプロジェクトに参加。 1987年、コム デ ギャルソン 川久保玲から 「誰も、まだ聴いたことがない音楽を使いたい」「洋服がきれいに見えるような音楽を」 という依頼によりショーのためにオリジナル楽曲を作曲、制作。アルバム『COMME des GARÇONS SEIGEN ONO』を発表。1993年以来スイス、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルに4回、アーティストとして出演している。2019年度ADCグランプリ受賞。Blu-ray化など名作映画の音声トラックのリマスタリングも手がける。
ウェブサイトは https://www.saidera.co.jp/seigen.html
(編集部I)