旅行・音楽・映画ライター前原利行さんが無人島に持ち込む究極の一枚とは?
無人島に1枚だけCDを持って行けるとしたらどれを選ぶ? と唐突に突きつけられる究極の選択、名付けて「無人島CD」。今回は旅行・音楽・映画ライター前原利行さんにお願いしましたが、読めば聴きたくなるような「永遠の名盤紹介」となりました。
こんにちは。おもに旅行・音楽・映画ライターをしている前原です。
趣味は旅行とバンドと映画鑑賞。仕事と同じですね(笑)。
無人島に1枚だけ持っていけるCD。
けっこう真剣に“サバイバル生活”をイメージしている方もいますが、僕はそのあたりは「自分が繰り返し聴ける音楽」とゆるく考えています。そもそも電源がなければ、CDもすぐに聴けなくなってしまいますしね。
愛聴盤や傑作と思うアルバムはたくさんありますが、これ1枚となると長年(30年以上)聴き続け、そして今も時々聴いている1966年発表のボブ・ディランの7作目のスタジオアルバム『ブロンド・オン・ブロンド』ですね。このアルバム、CDというメディアが登場してまもなく買ったものの1枚です。発売当初、CDはレコードに比べて高かったので、LP2枚組を1枚にしたこのCDアルバムは値段的にお得感がありました。その後、リマスター盤や紙ジャケ盤も買ったので、今はこのアルバムのCDを3枚持っています。
アーティスト名:ボプ・ディラン
アルバム・タイトル:ブロンド・オン・ブロンド
ボブ・ディランの傑作の誕生まで
1965年7月発売のシングル「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、ディラン最大のヒットとなりました。シングルは3分が当たり前の時代、6分という長尺でしかも難解な歌詞の曲がビルボード最高2位になったのです(1位を阻んだのはビートルズの「ヘルプ」)。続いて同曲を含むアルバム『追憶のハイウェイ61』がその年の8月に発売。こちらもビルボード最高3位のヒットとなります。ヒットチャートに上り、特に音楽通でもない人にも知られることになったディランですが、それは昔からのファン、特にフォーク原理主義者から「魂を売った」と怒りを買ってしまいます。
9月から始まった、ホークス(後のザ・バンド)をバックに従えた北米ツアーでは、古くからのファンのブーイングが絶えず、嫌気がさしたドラムのレヴォン・ヘルムが脱退するほどでした。その合間に『追憶のハイウェイ61』に続く新アルバム用のスタジオ録音がニューヨークで続けられます。しかし5回のセッションで、ディランの望む形になったのは1曲だけ。ツアーバンドによるタイトなサウンドが、ディランの目指しているものとマッチしなかったのです。
そこでプロデューサーのボブ・ジョンストンは、ナッシュヴィルでの録音を提案します。ナッシュヴィルはカントリー&ウエスタンの聖地であり、優れたスタジオミュージシャンが集まっていました。ディランは、ニューヨークからアル・クーパー(オルガン)とロビー・ロバートソン(ギター)を連れていくことを条件に、1966年2月14日にナッシュヴィルのスタジオ入りします。
ディランたちを待っていたのは、ナッシュヴィルの名うての若手セッションマンたち。ギター、ベースなどマルチプレイヤーの24歳のチャーリー・マッコイを中心に、ギタリストのウェイン・モスやジョー・サウス、ドラムのケニー・バトレイなど、みな20代でした。
1966年2月14日に3曲、15日に1曲、17日に1曲、3月に入り8日に3曲、9日の最終日には5曲と、5回のセッションで13曲が完成しました。準備曲がそもそも足りなかったのか、後から2枚組にすることになったために曲を増やしたのかはわかりませんが、時にはスタジオで歌詞を作りながらの録音作業だったようです。これは基本的にディランの作品がすべてバンドと一緒に録音するスタジオライブ形式で、歌を後から入れることができなかったためです。そのため、ミュージシャンたちはトランプなどをしながら、ディランの歌詞が完成するのを待っていたようです。
▲『ボブ・ディラン/ザ・カッティング・エッジ1965-1966: ブートレグシリーズ第12集(デラックス・エディション)』(1965〜66年の6枚組アウトテイク集で、『ブロンド・オン・ブロンド』関連はCD5〜6に収められています。うまくいかなかったニューヨーク録音と発売されたナッシュヴィル録音を聴き比べてもいいでしょう)
アーティスト名:ボプ・ディラン
アルバム・タイトル:ザ・カッティング・エッジ1965-1966(ブートレッグ・シリーズ第12集)(完全生産限定盤)
『ブロンド・オン・ブロンド』全曲解説
それではアルバム収録曲の聞きどころを紹介しましょう。
1. 雨の日の女
1曲目を飾るのは、ディランと彼のバンドが街を練り歩く姿が目に浮かぶマーチングバンド風のこの曲。
Everybody must get stoned(誰もが石で打たれるだろう)
という歌詞が毎回締め括るブルース進行の曲で、最初にシングルカットされました。
2. プレッジング・マイ・タイム
このアルバムの中ではオーソドックスな8小節ブルース。ディランのハーモニカが聴きものです。
3. ジョアンナのヴィジョン
7分半に渡りイメージが展開していくサイケなフォークソングで、僕のお気に入りの曲のひとつ。構成をうろ覚えなのか、ところどころベースが音を間違えているのがスリリング。それでもこのテイクを選んだのは、フィーリング(静けさ)がこの曲にマッチしていると感じたためでしょう。
4. スーナー・オア・レイター
この曲だけシングル用として1966年1月25日にニューヨークで録音されたものです。でも違和感はありません。
5. アイ・ウォント・ユー
もしかしたら彼の曲の中で一番好きかも。罪ある葬儀屋、孤独な手回しオルガン弾き、スペードの女王、中国服を着て踊る君の子供…。さまざまなキャラクターが登場する3分間の最高のポップチューン。シングルカットされています。
6. メンフィス・ブルース・アゲイン
7分に渡って歌われるイマジネーションの宝庫。くず屋、貴婦人たち、シェークスピア、フランス少女、鉄道員、上院議員、牧師などが登場し消えるといった視覚を刺激する歌詞が素晴らしいです。
But the post office has been stolen / And the mailbox is locked
(郵便局は盗まれ、ポストには鍵かかかっている)
Well, Shakespeare, he’s in the alley / With his pointed shoes and his bells / Speaking to some French girl
(尖った靴と鈴をつけたシェークスピアが裏通りでフランスの少女に話しかけている)
また、永遠に終わらないように感じるドライブ感あるサウンドも最高です。
7. ヒョウ皮のふちなし帽
かなり後になって、この帽子の形が60年代に流行った円形のケーキ箱のようなものだとわかりました。いわゆるメーテルの帽子ですね。それまでは変なタイトルだと思っていました。
8. 女の如く
12/8拍子のリズムに乗った軽快なドラムのブラシワーク、郷愁を感じるオルガンの音色、そして甘さと優しさをたたえたボーカルという大名曲。アレンジも申し分ない素晴らしさです。
9. 我が道を往く
2007年のある日、ラジオを聴いていたら、マーク・ロンソンによるこの曲のリミックスが、突然流れてきて驚いたことがありました。ディランのBOXセットやベスト盤の発売に合わせたシングルで、過去からの手紙が届いたような気分でした。
我が道を行く(Mark Ronson Remix) ボブ・ディラン
10. 時にはアキレスのように
ピアノが印象的な、アルバムの中では箸休め的なゆったりした曲。
11. アブソリュートリー・スイート・マリー
軽快でシンプルなロック曲で、僕の好みの一曲。中毒性あり。
12. フォース・タイム・アラウンド
アルペジオがクラシカルに聴こえるワルツ曲。リリカルなサウンドが心地よいです。
13. 5人の信者達
ブルースのフレーズを取り入れたストレートなシカゴサウンドの曲です。
14. ローランドの悲しい目の乙女
アナログ盤ではLPのD面すべてを占めた11分19秒の曲。サビらしいものもなく、アレンジに凝っているわけでもなく、“ディランの状態”が永久に続くように感じる曲。
1966年3月にこのアルバムの録音を全て終えたディランは再びアメリカツアーに戻り、4月にはオーストラリアツアー、その後はヨーロッパへというワールドツアーに出ます。このツアーの最中の5月にアルバム『ブロンド・オン・ブロンド』が発売。じわじわと売り上げを伸ばし、10月1日のビルボードチャートで最高9位を記録しました(イギリスでは3位)。
ツアー終了後の7月にディランは自宅のあるウッドストック付近で、バイク事故を起こします。ツアーはキャンセルされ、ディランはこの後、公式にはあまり人前に出ない“隠遁生活”に入り、次にツアーを行ったのは8年後の1974年でした。
アフリカの思い出
「無人島CD」でなぜこのアルバムを選んだのかというと、昔、それを連想させるシチュエーションがあったからです。それは僕が1995年3月から翌96年の9月までの約1年半、世界をめぐるバックパッカー旅をしていた時のことです。
携帯電話もインターネットも今ほど当たり前ではない時代、音楽を携帯する方法はポータブルオーディオプレイヤーでした。僕はカセットテープを主に使っていたので、旅の先々でカセットを買い、地元の音楽を聴こうと考えていました。それでも自分の好きな音楽は聴きたいもの。それで友人に旅先に送ってもらったカセットがこの『ブロンド・オン・ブロンド』だったのです。
1996年2月、僕はイタリアを発ち、西アフリカを2ヶ月ほど周遊しました。その時、バッグパックに入っていた数本のカセットのうちの1本がこの『ブロンド・オン・ブロンド』です。身体的にも精神的にもハードな旅で、マリ共和国の地方都市で発熱し(幸いマラリアではありませんでしたが)、非常に心細かったのを覚えています。そして、マリでドゴン族の村へ行く3泊4日のトレッキングの間、このアルバムをずっと聴いていました。乾燥したアフリカの大地とボブ・ディランはミスマッチのようですが、ずっと聴いているといい感じに思えてくるんですよね。
↑トレッキングの途中で。マリのドゴン族が暮らすバンディアガラの断崖から(撮影:筆者)
そんなテープでしたが、途中からガイドの青年が気に入ってしまい、トレッキングが終わったときにその彼にあげてしまいました。なので、このアルバムがその後しばらくアフリカの大地で聴き続けられたのかなと思うと、感慨深いものがあります。
前原利行(まえはら・としゆき)
音楽・映画・旅行ライター。映画や音楽、アート、歴史など海外カルチャー全般に興味があり、執筆している。今は国内旅行にハマり、月一で出かけている。ボブ・ディランは中学生の時からのファンで、公式アルバムはすべて持っている。