映画レビュー「モリコーネ 映画が恋した音楽家」
今回のデノン公式ブログでは1960年代以降、映画音楽界を牽引してきた巨匠エンニオ・モリコーネのドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』(2023年1月13日よりロードショー公開)をご紹介します。モリコーネの映画音楽に対する情熱や葛藤が描かれた本作を、ぜひ映画館で体験してください。
『モリコーネ 映画が恋した音楽家』
2023年1月13日(金)
TOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマ
ほか全国順次ロードショー
公式サイト https://gaga.ne.jp/ennio/
©2021 Piano b produzioni, gaga, potemkino, terras
モリコーネが手がけた作品たち
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映画好きな人にとって知らない人はいないと言っても過言ではないかもしれない、音楽家エンニオ・モリコーネ。少なくとも1960年~90年代に映画を観てきた世代にとっては、重要な音楽家であったことは間違いありません。生涯で500本以上のテレビ・映画音楽を手がけたエンニオ・モリコーネは、惜しまれながら2020年に91歳で逝去しました。
今回ご紹介する映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』は、エンニオ・モリコーネの幼少期から晩年までを、モリコーネ本人へのインタビューと、映画監督や同じ映画音楽家、ミュージシャン、歌手など多彩なゲスト陣のインタビューで描きながら、モリコーネが映画音楽にもたらした革新や画期的なアイデア、手法などをあますところなく魅せてくれる作品です。
劇中に出てくる作品をかいつまんでご紹介すると、モリコーネと小学校の同級生であったセルジオ・レオーネ監督と組んで、その名を世にとどろかせることになったマカロニ・ウエスタンシリーズの「荒野の用心棒」(’64)「夕陽のガンマン」(’65)「続・夕陽のガンマン 地獄の決斗」(’66)ほか、セルジオ・レオーネ監督の遺作となった「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(’84)、ジョゼッペ・トルナーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」(’88)「海の上のピアニスト」(’98)、そしてクエンティン・タランティーノ監督の「ヘイトフル・エイト」(’15)など、有名作品がずらり。ここにあげたのはほんの一部で、劇中ではなんと51作品もの映画が取り上げられています。
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モリコーネの晩年に近い2015年に公開されたクエンティン・タランティーノ監督の「ヘイトフル・エイト」は、彼の大ファンだったタランティーノが、音楽を全編書き下ろしで依頼した作品です。この作品で、モリコーネは念願の第88回アカデミー賞 作曲賞を受賞しました。映画の中でも描かれていますが、これは、それまで何度もアカデミー賞にノミネートされながら受賞を逃してきたモリコーネにとって、自分の音楽が理解され、受け入れられたと確信するひとつの大きな機会であり、そして大きな喜びでした。
というのも、モリコーネの映画音楽家としてのキャリアは、決して輝かしいものではなく、屈辱感を抱えながら始まったからです。
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劣等感や屈辱感につつまれたキャリアのスタート
モリコーネと音楽の関わりは、トランペット奏者だった父から勧められたことから始まります。音楽学校へ入学してトランペットを学び、そのうち作曲を学ぶようにもなりました。しかし、作曲を学ぶ学生はほとんどがピアノやバイオリン学科ばかりで、トランペット奏者はモリコーネだけでした。彼はそのことに劣等感を感じていました。さらに、病に倒れた父の代わりにステージに立ってトランペットを演奏し、お金をもらうことにも屈辱感を感じていました。彼にとっては、生活のためにトランペットを吹くことが苦痛だったのです。そのエピソードから、モリコーネ少年は音楽そのものに真っすぐで、ピュアに向き合う、真面目な少年だったことがうかがえます。そしてこの映画でも描かれている通り、その態度は基本的に生涯変わることがなかったように思います。
実際、モリコーネはとてもイタリア人に見えないイタリア人、みたいなところがあって、これは私(編集部S)の主観で偏見以外のなにものでもないのですが、映画を観るまでイタリア人は陽気でおしゃべり、というイメージでした。彼はその逆で、なんてストイックでなんて真面目な、そしてなんてオタク気質(褒め言葉です)な人なんだろう、こんなイタリア人がいるんだ……! という驚きを禁じえませんでした。
そしてモリコーネの音楽に最大の影響を与えたのが、後に作曲の恩師となる現代音楽家 ゴッフレド・ペトラッシとの出会いでした。ペトラッシは十二音技法(調性や施法に頼らず、1オクターブの中にある12の半音を平等に扱う技法)を試みた作曲家のひとりとして知られています。モリコーネはペトラッシの音楽に感銘を受け、夢中になって学び、トランペット奏者ではなく現代音楽の作曲家として成長していきます。いずれは現代音楽の作曲家として身を立てたいという思いは、家族を養い生活をしていくために稼がなければならない、という現実にぶつかります。そして最終的には、レコードレーベルのアレンジャー、そして映画音楽といった商業音楽の世界へ進むことになりました。自分の本意ではないところで音楽の仕事をする、そのことがモリコーネにとっては屈辱的な出来事であったため、その後も長らく引きずっていくことにもなります。
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映画音楽・音響の変遷と影響
映画の歴史からひも解いてみると、モリコーネが生まれた1928年頃はちょうど映画界で大きな変革が起きていました。それまで主流だったサイレント映画からトーキー映画(映像と音声が同期した映画のこと)へと移り変わっていった時代です。1930年代以降、トーキー映画が主流になると制作者が効果音の重要性に気づきはじめ、そこで音響編集という考え方が誕生します。火事や爆発、車や電車、バスの音、動物、風や雨の音などを撮影とは別に音を作るという仕事です。映画音楽はその映画のテーマとなる曲や挿入歌といった劇伴曲だけではなく、もっと広い映画音響というジャンルとなって拡がり、確立されていきました。
モリコーネが作曲家として映画音楽の仕事を始めたのは1960年代ですが(演奏や編曲では1950年代から)、その少し前に、あらゆる音楽家やアーティストたちに大きな影響を与えた音楽家ジョン・ケージと彼の実験音楽の存在は、映画音楽・音響というジャンルにおいても外せない存在だと思います。
ジョン・ケージの「ノイズも無音(沈黙)も音楽である」といったその実験性や考え方は、見方を変えると映画音響の世界に近しいものにも思えます。映画の中には生活や日常(非日常)を含め、さまざまなシーンがあり、その音は決して画一的なものではないからです。そしてそんなジョン・ケージにモリコーネも大きな影響を受けました。
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映画音楽・音響の面では、1970年代に大きな転換期を迎えます。フランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」(’79)で、5.1chサラウンドという再生フォーマットが採用されたことで、一気に映画音声のサラウンド化が進みました。過去から現在へと絶えず進化してきた映画音楽・音響の世界において、モリコーネの実験性や音を追求する姿勢は、もともとモリコーネが進みたかったアカデミックな現代音楽の世界よりも、ずっと本人の適正にマッチしていたのではないかと私は感じました(結果論ではありますが)。
「海の上のピアニスト」の主人公に自分を重ねたモリコーネ
この映画には、映画「殺人捜査」(エリオ・ペトリ監督/`70)という作品でモリコーネが音楽をつける前と後、といった映像も登場します。モリコーネの音楽は、あたかもそこにもともとあったかのような、自然に出てきたように聞こえるから不思議で、「この映像にはこの音楽しかない」と感じてしまいます。例えるならば、仏師が仏像を作るときに、「材料となる木の中に仏像が眠っていて、自分はそれを掘り起こすだけだ」と語るのに似ているというか。なので、いろんな映画監督がモリコーネと仕事をしたいと思うのも納得してしまいます。
モリコーネのインタビューでは、昔のエピソードや記憶を回想すると共に、創作に対するこだわりも随所に語られます。そして映画監督で俳優でもあるクリント・イーストウッドや、同じ映画音楽家のハンス・ジマー、ジョージ・ウィリアムズ、ミュージシャンのブルース・スプリングスティーン、クインシー・ジョーンズなどなど多彩なゲストたちのインタビューも見どころです。個人的には「『海の上のピアニスト』の主人公は自分だ」と言ったモリコーネのセリフがとても印象的でした。一生船から降りることなく、海の上で過ごしたピアニストに自分を重ねたのはどうしてか、ぜひ劇場で観ていただければと思います。
©2021 Piano b produzioni, gaga, potemkino, terras
(編集部S)