飯田有抄の「カメラと写真と音楽と」vol.2日常の道具と音楽
「オトナ女子のオーディオ入門」で熱くオーディオについて語っていただいたクラシック音楽ファシリテーターの飯田有抄さんはカメラも大好き。このたびデノンブログで写真と音楽について語る連載を書いていただくことになりました。第2回のテーマは「日常の道具と音楽」。道具をめぐる素敵な写真と素敵なクラシックのプレイリストをお楽しみください。
カメラと写真と音楽と vol.2「日常の道具と音楽」
おそらくカメラが好きだったり、オーディオが好きだったりする人には、そもそも道具が好き、という人も多いのではないかな。
とりわけ、誰かが大事にしていたのを受け継いだ道具や、自分がどこか手を掛ける余白のある道具、時間が経つにつれて自分にしっくりと馴染んでくる道具などには、何かそこに過去・現在・未来の時間が織り込まれていくような感じもあって、使うのが愉しい。大事にしまいこんだりせずに、日常的にどんどん使いたい。
何十年も昔のフィルム時代のカメラのレンズも、きちんと手入れがなされ、定期的に新鮮な空気に触れ続けてきたものは、今も凛とした絵を出してくれる。
(LeicaのElmarという古いレンズで撮影。たしか1950年台のものだったと思う)
古いレンズの曇りないガラスを眺めていると、深い瞳のようにも見えてきて、このレンズはいったいこれまで、どんな景色や場面や人や出来事を見てきたのかな、と想像してしまう。日常的に時間旅行に連れ出してくれる小さなタイムマシンのようにも思える。そんなレンズたちの写真も撮りたくなってしまうのだ。
(手のひらにのる小さなタイムマシンみたいなレンズ。よいレンズは造形も綺麗だ)
音楽の美質の一つは非日常性にあるとも思う。特にクラシック音楽は貴族の宮廷や教会に深く根ざしてきた。でも今の私たちは、日々の何気ない場面でもクラシック音楽を聴く。人々の受容のあり方が変わっても、包容力を発揮する作品が、歴史を超えて残るのかもしれない。
今日は、生活とか暮らしとか、身近に感じられる音楽を選んでみよう。
まずはレンズ写真のお供に、ソ連時代の作曲家アラム・ハチャトゥリアン(1903〜1978)のピアノ曲「子ども時代の画集」第1曲「アンダンティーノ」、第2曲「今日は歩かない」、第3曲「リャドは重病」を。
ハチャトゥリアンというとバレエ音楽の「剣の舞」などが有名だけれど、子どもが生きる世界のちょっとした場面を切り取ったような、こんな小さな音楽も作っていたのだね。1955年に出版された曲集。ノスタルジックで民謡的なメロディが聞こえます。
道具といえば、乗り物だって道具だ。とくに日々の足となって活躍するようなクルマやバイクは、ほぼ相棒のような存在になる。昔から、お蕎麦屋さんや郵便屋さんの相棒として、細い道もなんのそので動き回ってきたカブは、なんと働き者だろう。丈夫で扱いやすいから、私も散歩バイクとして乗っている。たいしたスピードは出ないから、季節の花々に気付くことができたり、コインランドリーの横では石鹸の香りを感じたりできる。小犬のようなバイクだ。
(実は夜桜なのだが、明るく撮れるレンズで撮影。国産のリトルカブは、私のように小柄な人間にもフレンドリー)
そんな乗り物と相性のいい音楽に、アントニオ・ヴィヴァルディ(1678〜1741)の爽やかで可愛らしい室内協奏曲はどうだろう。リコーダーやファゴットの木管楽器の響きがほのぼのしているト長調の作品(RV.101 第3楽章)。そこそこノリノリで軽快に走るけれど、曲のおしまいは、ちょっといい場所を見つけたから停車しよう、みたいな雰囲気。
器も道具だ。食事をしたり、おやつを食べたり、コーヒーやお茶を飲むときに必要な道具。作家がひとつひとつ丁寧に作った器には、手に取ったり、目にした瞬間に心打たれるようなものがある。先日、偶然私が手に入れた蕎麦猪口は、小野哲平さんという作家が作ったものだそうだ。濃いグレーに青い線が入っていて、何かその静かな佇まいに心が落ち着く。底の青い色は、宇宙の入り口みたい。蕎麦猪口は、べつにお蕎麦を食べる時だけじゃなく、コーヒーを飲んだり、お酒を飲んだりするのにも使っていいんだって。
(作家さん手作りの蕎麦猪口)
なぜだろう。この器を眺めていると、グールドの弾くJ.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」が聴きたくなる。濃い色味なのに、そこはかとない明るさを感じるからなのか。光の加減や、中に何を入れて使うかで、いろんな表情を見せてくれるからかもしれない。
主題(アリア)と30の変奏からなる「ゴルトベルク変奏曲」のエピソードとしてよく知られているのは、不眠症に悩まされていた前ロシア帝国行使カイザーリンク伯爵が、お雇い鍵盤奏者のゴルドベルクに何か気分のよくなる音楽を弾かせたいと願って、バッハに作曲を依頼した、というお話。現在では懐疑的とされるエピソードだが、「眠れない夜のための音楽」というのは、ある意味道具としての音楽だ。
やはり良い道具というのは、人の暮らしを豊かにしてくれる。
(第2回おわり)
飯田有抄 プロフィール
東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Macquarie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。音楽専門雑誌、書籍、CD、コンサートプログラム、ウェブマガジンなどの執筆・翻訳のほか、音楽イベントでの司会、演奏、プレトーク、セミナー講師の仕事に従事。NHKのTV番組「ららら♪クラシック」やNHK-FM「あなたの知らない作曲家たち」に出演。書籍に「ブルクミュラー25の不思議〜なぜこんなにも愛されるのか」(共著、音楽之友社)、「ようこそ!トイピアノの世界へ〜世界のトイピアノ入門ガイドブック」(カワイ出版)等がある。公益財団法人福田靖子賞基金理事。