デノンを作った人穴澤 健明さん その4 「デジタル録音のエピソードとメッセージ」
元日本コロムビアの録音エンジニアの穴澤 健明さん。世界初の商用デジタル録音のお話もいよいよ最後となりました。第4回は、美空ひばりさんのデジタル録音の話などのエピソードと、音楽ファンに向けたメッセージです。
「デノンを作った人」でお話しいただくのは、元日本コロムビアの録音エンジニアの穴澤 健明さん。
世界初の商用デジタル録音のお話もいよいよ最後となりました。
第4回は、美空ひばりさんのデジタル録音の話などのエピソードと、音楽ファンに向けたメッセージです。
●日本人で初めてのデジタル録音は、美空ひばりさんのライブだった
世界初の商用デジタル録音は、スメタナ四重奏団でした。
そして日本人歌手初のデジタル録音は、日本が誇る歌手 美空ひばりさんです。
1973年1月、厚生年金会館でのライブを、試作1号機を使って収録しました。
そのときは試作1号機をトラックに載せていきました。1本のVTRテープで録音できるのは約1時間。
休憩時間にテープを取り替えながら、コンサートの全曲を録音しました。
このときの録音はレコードとして発売され、売れ行きも良いものでした。美空ひばりさんはその年、実は精神的に辛い時期でした。
しかし、ひばりさんはそのコンサートのとき楽屋で
「せっかく新しい機械で録音してくれるんだから、私もがんばって歌います」と言ってくださったのをよく覚えています。
●CD発売に合わせて
1982年にCDプレーヤーの発表にあわせて、数多くのCDソフトが同時に発売されました。
日本コロムビアからも多くのCDが発売されましたが、その中に世界的な名指揮者ヴァーツラフ・ノイマンの「新世界より」がありました。
実はこのCDも、スメタナ四重奏団のレコーディングが関係しているのです。
日本人の多くの人達がCDという新しい世界が始まるのだから、ラインナップにはドヴォルザークの「新世界より」、
しかも第1人者のノイマンの指揮でデジタル録音したものがほしいという希望を持っていました。
しかしそれにはノイマン自身が難色を示していたのです。
「新世界より」は彼自身の代表作でしたが、すでに何回もレコード化していたこともあり、「今更再収録するのもどうも」と思っていたようなのです。
ところが思いがけない偶然により、私の希望は叶うことになります。それは、私たちがプラハでスメタナ四重奏団の収録をしていたときのこと。
そのときはレコーディングしていたベートーヴェンの「セリオーソ」のプレイバックをメンバー、スタッフ全員で聴いていたのですが、
ふと私が廊下に出ると、偶然にもそこにノイマンがいたのです。
そして「今聴こえるセリオーソは、好きな曲だから、一緒に聴かせてくれないか」と言ってきたのです。
ノイマン自身、スメタナ四重奏団の初期メンバー。団員にとっては大昔の仲間ですし、私たちはノイマンの依頼を快諾しました。
そこでデジタル録音されたセリオーソを聴いたノイマンは「新しい技術を使った録音なのか」と興味を持ちました。
ここぞとばかりに私は「これがデジタル録音だ」と力説しました。
「デジタル録音したものは、間違いなく一般家庭にも広まっていく。だからあなたも録音したほうがよい」と。
するとノイマンは「それは、私にあの『新世界より』をもう一度レコーディングしろということだね」と言ってくれました。
私はすぐに「本人がOKと言った」と現地のスタッフに伝えました。それがCDの最初の発売にノイマン指揮「新世界より」が発売された背景です。
●「音楽の魅力」を楽しむことを知っている人、それが本当の音楽ファン
今後もオーディオのテクノロジーは進化していくでしょう。それはたいへんよいことです。
しかし、音楽ファンとして重要なのは、テクノロジーと「音楽の魅力」は別物だと理解しておくことです。
テクノロジーは、音楽の魅力を引き出すために活用するものです。
音の解像度が上がった結果、音楽制作者が意図していない音、
コントロールされていない音までがリスナーの耳に届くことは、私は決して正しいことだとは思いません。
一方、音楽を収録する側、オーディオ機器を作る側は「何が記録するべき音なのか」を理解しておく必要があります。
それにはエンジニア自身が音楽ファンであること。
デノンのルーツでもある日本電気音響株式会社の創始者である坪田耕一は、優れたヴァイオリン奏者でもありました。
音楽を理解している人間が作ったオーディオ機器だからこそ、音楽の魅力が引き出せたのだと思います。
自分の耳で「音楽の魅力」を楽しむことを知っている人、それが本当の音楽ファンではないでしょうか。
──穴澤さんのお話はこれで終わりです。
穴澤さん、本当にありがとうございました。
(Denon Official Blog 編集部 O)