素顔の音楽家たち第一回 恋多き男、ベートーヴェン
後世の人を魅了する素晴らしい音楽を創造した作曲家、演奏家たちって、もしまわりにいたら一体どんな人物だったんだろう、と思うことがありませんか。新コーナー「素顔の音楽家たち」1回目は、題して「恋多き男、ベートーヴェン」。
1回目はやはりこの人。誰もが知る楽聖、ベートーヴェンの登場です。
ベートーヴェンといえばまず浮かんでくるのが、学校の音楽室にかかっているあの肖像画。ボサボサの髪に非常に鋭い眼差しが印象的です。
コワモテでちょっと野暮ったくて、才気に満ちた感じはするものの、見るからに女性とは縁が薄そう……。
実際、57歳まで生きたベートーヴェンは、一生独身で過ごしました。
ひょっとして本人、女性にあまり興味がなかったのか?と思いきや、決してそんなことはなく、ベートーヴェンは生涯、何人もの女性に恋をしました。
しかも、30代から40代のはじめにかけては、かなり結婚願望も強かったようです。
ちょっとお相手の名前を挙げてみると、ハンガリー貴族のヨゼフィーネ・ブルンスヴィク、その親戚であるジュリエッタ・グイッチャルディ、
主治医の親族の娘だったテレーゼ・マルファッティ、フランクフルトの富豪の娘で後に文学者となるベッティーナ・ブレンターノ、
そして、ベートーヴェンが手紙で“我が不滅の恋人よ”と呼びかけた
謎の女性(フランクフルトの富豪の妻だったアントーニエ・ブレンターノが有力候補)などなど。
そんな“恋多き男”ベートーヴェンは、なぜ一生独身で終わってしまったのでしょう?
記録によると彼は身長が低く、鼻が大きくて猪首の、ずんぐりむっくりタイプだったようで、身なりには無頓着。
おしゃれとはほど遠く、その上、社交性も欠けていたとか。
単純に想像すると、「本人はその気でも、多くの女性からは相手にされなかったのでは?」という推測も成り立ちます。
しかし、これについてはたくさんの友人、知人たちが証言しているのですが、ベートーヴェンはけっこう女性にモテたのだそうです。
だったらなぜ?
……その理由をひとことで言うと、ベートーヴェンが好きになった相手はほとんどが貴族出身(あるいは富豪の娘など)で、
当時にしては“身分不相応の恋”ばかりだったからです。
彼が生きた18世紀終わりから19世紀始めにかけて、音楽の主要な消費者は貴族をはじめとした上流階級だったため、
必然的にベートーヴェンのまわりには身分の高い女性がたくさんいました。
それを考えると、彼がそうした女性ばかり好きになってしまったのは、ある意味自然の成り行きだったのかもしれません。
しかし、当時は作曲家の身分がまだ低く、貴族の女性と作曲家の結婚など、あり得ない時代でした。
本人同士が両想いになっても、まわりが許すはずもなく、かくしてベートーヴェンの恋は、どれも完全に成就することなく終わっていったのです。
ベートーヴェンもそういう社会だということはじゅうじゅう承知していましたが、
「貴族たちを自分の芸術の前にひれ伏せさせてみせる」と豪語していた彼にとっては、“貴族の娘は高嶺の花”などという考え方自体が、
とても受け入れられないものだったのでしょう。
さて、そんなベートーヴェンは、好きになった数々の女性に自分の楽曲を献呈していますが、
そのひとつに、ピアノソナタ第14番・嬰ハ短調「月光」があります。
彼はこの作品を、1800年頃、ピアノのレッスンを受けに来ていた貴族の娘、
ジュリエッタ・グイッチャルディに捧げました(それでもベートーヴェンの恋は成就せずに終わっています)。
実は、<月光>というのは、後世の人間が曲のイメージからつけた通称で、
ベートーヴェン本人はこの作品に『幻想曲風ソナタ』という題名をつけています。
幻想曲とは、特定の形式にとらわれず、自由に楽想を展開させた曲のこと。
つまりこの作品は、それまでのピアノソナタの常識を打ち破った革新的な作品なのです。
たとえば、通常のソナタでは、第一楽章はテンポが速めで、第二楽章はテンポが遅め、第三楽章は再びテンポが速め、という構成になっています。
ところが「月光」は、第一楽章がゆったりとしたテンポで、第二楽章が軽快な三拍子なのです。
これだけ見ても、この作品が従来の形式にとらわれていないことがおわかりいただけるでしょう。
この例に限らず、従来の形式を打ち破る画期的な作品を多く作り続けたベートーヴェン。
その後好きになった女性たちも、当時の常識や固定観念にとらわれることなく、やはり貴族の女性ばかりでした。
音楽に対してだけでなく、恋愛に対しても、常に革新的であり続けた男であったようです。
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第13番、第14番《月光》、第30番
演奏者:マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)
発売元:ユニバーサルミュージック合同会社
上原章江 著 ※書籍のほか、アーティストやミュージシャン、俳優のインタビュー記事を多数執筆。
ヤマハミュージックメディア
(Denon Official Blog 編集部 U)