私のオーディオ道 CSBUデザインセンター高橋「70年代のアンプ、PMA-235から学ぶもの」
オーディオ機器メーカーで働く人の音楽観や使用機器に興味はありませんか? その疑問にお答えする連載「私のオーディオ道」。今回はデノンのAVアンプなどの設計に携わるCSBUデザインセンターの高橋にインタビューしました。
オーディオ機器メーカーで働く人の音楽観や使用機器に興味はありませんか?
その疑問にお答えする連載「私のオーディオ道」。
今回はデノンのAVアンプなどの設計に携わるCSBUデザインセンターの高橋にインタビューしました。
インテグレーテッドアンプ
PMA-235(1975年発売)
PMA-255(1975年発売)
CSBUデザインセンター 技師 高橋佑規
■高橋さんはAVアンプやHi-Fiアンプの設計者だとうかがいました。
高橋:入社して14年ですが、最初は放送機器などの業務用機器の研究開発をしていました。
その後オーディオの設計をやりたいと希望し、白河工場でHi-Fiアンプの設計に携わりました。
現在は主にAVアンプの設計を担当しています。
今日私がお話しするのはPMA235やPMA255という1975年に発売された古いプリメインアンプですが、
当時の様子を補足していただくために、その時開発部に所属していた生産技術グループの早川俊雄さんにも取材に参加していただいています。
早川:PMA235、PMA255の開発当時、私は設計部にいて当時はスピーカーを設計していました。
このアンプは私の机のすぐそばで設計されていましたので、様子はよく知っています。
その後に私もアンプの設計をしました。
■早川さん、よろしくお願いします。
高橋佑規(左)生産技術グループ 早川俊雄(右)
■このPMA235、PMA255は、高橋さんの私物ですか。
高橋:私物です。合計で3台所有しています。
■1975年製というと、かなり古いアンプだと思うのですが、なぜ入手したのですか。
高橋:私はエンジニアなので、デノンに限らず古いオーディオ機器には興味を持っています。
特にデノンの機器に関しては、先輩たちがどんなものを作っていたのかを学ぶことができ、とても勉強になります。
20年くらい前のもの、たとえばPOA-S1をはじめとするSシリーズなど1990年代以降の製品なら、
社内にあるので中身を見たりして研究できるんです。
でも70年代の古い製品となると、白河工場にも残っていません。
そこでインターネットで情報を探して、ネットオークションなどで見てみると、安く買えることがわかり入手しました。
結局PMA-235や255はかなり気に入って3台も買いましたが、入手した時点で音は出ていましたし、
ガリを直したり、劣化したパーツなどは今でも入手できるものだったので、ちょっとメンテをすれば使える状態になりました。
■一見して、デザインがかっこいいと思いました。
高橋:私も最初に気に入ったのはデザインでした。これはカッコいいなと。それで購入してみて、
エンジニアなのでさっそく中を開けてみたんですが、非常にしっかり作られていました。
トランスがセンターにあって、左右のパワーアンプはしっかりとシンメトリーに分かれて配置されています。
当時は音源としてはレコードとチューナーそしてテープデッキぐらいしかないので、
回路の構成は非常にシンプルですが、パーツのレイアウトが非常に綺麗で、今のHi-Fiに通じる設計となっています。
先輩たちのこだわりを強く感じることができました。
PMA-235の内部回路
■ちなみに音はどうでしたか。
高橋:40年も前の製品なので、コンデンサーは劣化していて、恐らく発売当時の音とは違うとは思いますが、
いわゆる「ビンテージアンプ」という感じの暖かい音がしました。
パワーも今とは違いますが、家で小さいスピーカーを鳴らすなら、十分使うことができます。
■「今のHi-Fiに通じる」というのはどんな部分ですか。
高橋:PMA-235やPMA-255には「差動増幅全段直結回路」という回路が使われています。
これは現在のHi-FiアンプやAVレシーバーで使われている回路の原型のようなもの、と言っていいのではないでしょうか。
1970年代にはかなり斬新だったはずなのですが、それを積極的に取り入れています。
これらは真空管アンプからトランジスタアンプに切り替わる時代に出てきた技術なんですね。
それまでは単に真空管をトランジスタに置き換えていましたが、
この技術はトランジスタアンプとしてより発展させるために出てきたものです。
こういった先進的な技術をいち早く取り入れていたあたり、先輩たちは凄いなと思います。
■早川さん、当時の開発部はそういう先取の精神を持っていたのでしょうか。
早川:PMA-235、PMA-255は1975年の製品ですが、
デノン、当時の日本コロムビアは、今のようにオーディオ専業メーカーではありませんでした。
1970年代初頭まではテレビも作っていましたし、クーラーも作っていました。
私は入社当時、サービス、つまり修理にいたんですが、冷蔵庫の修理もしていたんですよ。
そのように幅広く家電をやっていたコロムビアが、オーディオに分野を絞り、オーディオメーカーとして特化していく時期でした。
そして特化していく以上は最先端をやろうと。そんな機運でした。
このアンプは川崎で開発されましたが、当時川崎ではさまざまな基礎研究も行われていて、
かなり先進的な取り組みをしていました。
■早川さんから見ると、PMA-235/255はどんなアンプですか。
早川:デノンのアンプのラインナップを見ていただければわかるのですが、
PMA-235/255は、それまでのアンプのデザインと全然違うんですね。
とてもデザインが洗練されていると思います。
いい意味で「趣味性が高い」という感じがしますね。
オーディオファンが見て、つい買いたくなるようなアンプです。
高橋:内部を見ても、基板パターンに設計者のこだわりが感じらます。
信号の流れる経路が曲線的で、まるで絵を描いているようなパターンなんです。
早川:実際当時は設計者が手書きでパターンを書いていました。
できるだけクロストークが少なくなるように工夫を凝らし、なるべく左右を離して線を引き回していましたね。
ですから他のメーカーよりもクロストークはかなり少なかったように思います。
試作を作る時も、今はパソコンで図面を作り、あとは自動機で実装するのが当たり前ですが、
当時の設計者は自分自身でパーツをひとつひとつ手で入れて回路を組んでいました。
■そのあたりのこだわりも「デノンの遺伝子」なんでしょうか。
高橋:そうですね。トランジスタの選び方のこだわりなども、今に通じる要素があります。
アンプって、今も昔も「スピーカーを駆動する」という基本的な役割は同じですし
、トランジスタも進化はしていますが基本的な動作や挙動は変わりません。
ですから温度で特性が変わってしまうことや非線形性など、
トランジスタの欠点を上手くカバーする事などに関しては、今も昔も同じ苦労をしているんですね。
そこを先人たちはどう智恵を捻ったのか、といったあたりは温故知新ではないですが、とても勉強になります。
実際、最近発表になったAVR-X7200Wという新しいAVレシーバーのフラッグシップモデルの開発に携わりましたが、
アンプの内部が似ていると思いませんか?
整然とした内部の回路レイアウト。
こんなふうに先輩たちのこだわりを継承しながら、デノンの遺伝子は今後も引き継がれていくのだと思います。
AVR-X7200W(手前)とPMA-235(奥)
■ところで高橋さんはどうしてオーディオの設計者を志したのですか。
高橋:私はもともと音楽を演奏することが好きで、学生時代はジャズ研究会に入ってギターを弾いていました。
そして音楽もお金をかけずにできるだけいい音で聴きたかったので、
壊れたスピーカーを安く入手しては自分で直したりして聴いていました。
そのうちにオーディオも好きになり、吉祥寺のジャズ喫茶に通ったり、
一ノ関の有名なジャズ喫茶「ベイシー」の菅原さんの本を読んでは感銘を受けたりしていたんです。
そしていよいよ就職ということになったとき、電気系の勉強をしていたこともあり、オーディオがやりたくてデノンに入りました。
■演奏は今でもなさっているのですか。
高橋:今でもセッションなどで演奏しています。
■アンプを設計するときにはどんな気持ちで図面を引いているのでしょうか。
高橋:「いい音で音楽を聴きたい」という思いは、今も当時も同じです。
最近はハイレゾなど、今までよりも情報量が多く、録音も素晴らしいコンテンツが増えてきていますので、
そういった魅力が伝えられる製品作りをしたいと思っています。
■開発中に聴くCDで、お好きなものがあればご紹介ください。
高橋:ジャズギターだとケニー・バレルやグラント・グリーンなど、オーソドックスなギタリストが好きなのですが、
一方で、キャロル・キングのバックでギターを弾いているダニー・クーチというギタリストも大好きなんです。
本人は自分のスタイルをフェイクジャズと言っているようですが、あの雰囲気が良いんです。
そのダニー・クーチがリーダーのバンド「ジョー・ママ」が一番好きですね。
■本日はありがとうございました。
アーティスト名:ジョー・ママ
アルバム・タイトル:ジョー・ママ
ワーナーミュージック・ジャパン
(Denon Official Blog 編集部 I)