もっと楽しくクラシック「交響曲ってなに?」
「クラシックは興味があるけど、敷居が高くって」。そんな初心者のための「もっと楽しく、クラシック」の第2回はズバリ交響曲! 交響曲の意味、交響曲の形式、そしていつ頃生まれたものなのか。そのあたりをご紹介します。
交響曲は英語でsymphony、ドイツ語でsinfonie、イタリア語でsinfoniaですが、語源はギリシャ語の「syn=共に」と「phone=響く」にあります。
ちなみに、この言葉を「交響曲」という見事な日本語に訳したのは、あの文豪、森鴎外だったとか。
ドイツ留学経験がある彼は、音楽にも興味があったようです。
さて、交響曲は一般に「多楽章からなる管弦楽曲」といわれています。
楽章の数は、3楽章か4楽章が普通。
もっともオーソドックスなパターンは、第1楽章(ソナタ形式で書かれた速めの楽章)→第2楽章(ゆったりとした楽章)→第3楽章(メヌエットなどの舞曲)→第4楽章(盛り上がるフィナーレ)です。
ちなみに「ソナタ形式」とは、ごくごく簡単に言ってしまうと、「はじめに曲のテーマが現れ、その後別の展開がしばらくあって、やがて最初のテーマが再び現れる」といった、「曲の流れの基本のかたち」です。
物語になぞるなら、「起承転結」みたいなものです。
交響曲は今でこそコンサートでメインの演目となる花形ですが、そうなったのは音楽の長い歴史の中でそれほど古い話ではありません。
では、交響曲の誕生から見てみましょう。
交響曲のルーツは必ずしもひとつではないようですが、オペラが始まる際に演奏された導入音楽から発展したという説が一般的です。
時代は16世紀、まだバッハが生まれる前のこと。
当時、オーケストラが活躍した場のひとつがオペラ劇場でしたが、そこでの主役はあくまでも歌と物語でした。
やがて開幕に際して「さあ、これから始まりますよ!」と観客に知らせるファンファーレが、楽器だけで演奏されるようになります。
それがだんだん曲らしくなって、「序曲」へと発展していきました。
やがて、17世紀の後半、「イタリア風序曲」というものが出てきます。
この序曲は、速くて調子のいい部分と、緩やかな部分、そしてまた早い部分という、急→緩→急という3部構成になっていました。
これがそのうち3つの楽章に分かれ、交響曲の誕生へとつながるのです。
交響曲というジャンルが確立し、今日のように花形ジャンルとして発展したのは、古典派の時代でした。
おおよそ、18世紀半ばから19世紀のはじめにかけてのことです。
ここで登場するのが、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのお三方です。
ハイドンは、「交響曲の父」と呼ばれている人で、実際、交響曲の基本形を完成させました。
ハイドンが作った交響曲の数は、なんと100曲を超えます。
こんなに作ったクラシックの作曲家は、後にも先にもこの人しかいません。
そんなハイドンが確立した交響曲というジャンルを、さらに洗練させたのが、天才・モーツァルトでした。
モーツァルトは、生涯、約40曲の交響曲を作りました。
ハイドンに比べるとかなり少ないように感じますが、彼の寿命を考えると致し方ないところでしょうか。
しかし、モーツァルトが晩年に作曲したいわゆる三大交響曲(39番、40番、41番)の完成度の高さは、圧倒的です。
ハイドンはモーツァルトの24歳年上で、モーツァルトは彼のことを「パパ・ハイドン」と呼んで慕っていました。
モーツァルトは短い人生の間に、あっという間にハイドンに追いつき、ある意味追い越してしまったのです。
さあ、ここでいよいよベートーヴェンの登場です。
ベートーヴェンはモーツァルトの14歳年下。
若い頃モーツァルトに弟子入りを頼んだことがありましたが、実現せず、その後ハイドンに弟子入りしています。
よく知られているとおり、ベートーヴェンが生涯作った交響曲の数は、9曲。
先輩ふたりに比べると、ずいぶん少ない感じがするかもしれませんが、それこそが、交響曲が作曲家にとってもっとも重要なジャンルに発展したことを物語っているともいえるでしょう。
ハイドンの頃は、まだ“交響曲創世記”ですから、比較的気軽にいろいろ作ってみることもできたわけです。
でも、交響曲というジャンルが確立し、それが作曲家にとって非常に重要な作品と認識されるようになれば、誰だってそう簡単には作れなくなります。
そしてベートーヴェンは、《交響曲第9番・合唱付き》という、大傑作を作り上げました。
ある意味、この曲によって、交響曲はひとつの完成形を見たのです。
その後、交響曲というジャンルは、シューベルト、メンデルスゾーンらを経て、ブラームス、ブルックナー、さらにマーラー、現代の作曲家へと引き継がれていきます。
ロシア出身のチャイコフスキーや、チェコ出身のドヴォルザークらも、素晴らしい交響曲をたくさん残しました。
しかし、交響曲の歴史において、第9がひとつの頂点であったことは間違いないでしょう。
後に続く作曲家たちはみな、「交響曲を作るからには、ベートーヴェンの第9を超える、いや、迫る傑作を作らねば」というプレッシャーと闘っていたといわれています。
そして今でも、第9を超える交響曲は、まだ生まれていないといってもいいのかもしれません。
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(ライター上原章江)
『クラシック・ゴシップ!』~いい男。ダメな男。歴史を作った作曲家の素顔~
『クラシック・ゴシップ!』~いい男。ダメな男。歴史を作った作曲家の素顔~
上原章江 著 ヤマハミュージックメディア