読む音楽 スタジオの音が聞こえる 高橋健太郎 著
ポピュラー音楽史にその名を残す世界の有名なレコーディングスタジオをとりあげ、その由来や音の特徴、エピソード、録音された名盤の秘密を解説した『スタジオの音が聴こえる』(高橋健太郎著)をご紹介します。
CDを買った時に、ライナーノーツなどで、バックで演奏しているミュージシャンやプロデューサー、そして録音したエンジニアや、レコーディングスタジオなどをチェックする音楽ファンは多いのではないでしょうか。
この本は、そんな音楽ファンのために書かれた、レコーディングスタジオ、エンジニア、そしてレコーディング機材について紹介した、見逃せない書籍です。
ライターでもあり、音楽制作者でもある高橋健太郎さんが『ステレオサウンド』で連載している記事が一冊にまとめられました。
高橋健太郎さんといえば、2015年の「秋のヘッドフォン祭」でデノンのイベント「デノン×OTOTOY Presents Suara最新アルバム『声』DSD試聴会」にototoyの主宰者の一人として参加してくださいました。
その様子はデノンオフィシャルブログ「秋のヘッドフォン祭2015 レポート」にて
スタジオの音が聴こえる
名盤を生んだスタジオ、コンソール&エンジニア
高橋健太郎著
この本には音楽史に残る名盤を生み出した世界の19ものレコーディングスタジオがとりあげられています。
それぞれのスタジオはどんな由来でできたのか、どんな音の特徴を持っているのか、そこにはどんな機材があったのか、どんなエンジニアがそこで仕事をしていたのか、などが描かれています。
本書でとりあげられた19のスタジオから、いくつかご紹介しましょう。
たとえば面白いところでは、イギリスのロックバンド「フェイセズ」のベーシストだったロニー・レーンがバンドを脱退して始めたL.M.S.というスタジオがあります。
これはLane’s Mobile Studioの略で、なんとトレーラーに録音機材を積み込んだ世界初のモバイルスタジオです。
ロニー・レーン自身もよく使用したスタジオですが、1970年代には名だたるミュージシャンたちに貸し出されました。
それはいわゆるレコーディングスタジオではない場所でリラックスしてレコーディングするためでもありましたが、また従来のレコーディングスタジオでは出せない音響効果を狙った録音を可能にもしたのです。
たとえばザ・フーは古い映画用のスタジオにL.M.S.を運び込んで『ザ・フー・バイ・ナンバーズ』を録音していますし、レッド・ツェッペリンは歴史的建造物であるヘッドレイ・グランジの中でL.M.S.を使い、ハードロックの名作『フィジカル・グラフィティ』をレコーディングしました。
ハリウッドではチャップリンが持っていた撮影スタジオの跡地に、ジャズトランペッター、ハーブ・アルパートとジェリー・モスが立ち上げたA&Mレコードのレコーディングスタジオが建てられました。
A&Mは映画の都ハリウッドに建てられただけあって、大人数のオーケストラが録音できるような巨大なスタジオを持っていましたが、歌をレコーディングするための小さなスタジオもあって、その小振りなスタジオは数多くの女性シンガーソングライターたちに愛されました。
たとえばジョニ・ミッチェルはここで数多くのレコードを録音していますし、キャロル・キングの名作『タペストリー』も、このスタジオでの録音作品です。
さらに有名なところではカーペンターズの大傑作『遙かなる影』もここで録音されました。
A&Mレコーディングスタジオが彼女たちに愛されたのは、このスタジオにあったミキシングコンソールとマイクの組み合わせによるクリアなボーカルサウンドだったと言われています。
そしてもう一つ。私がこの本で一番興味深かったのは、トライデントスタジオのピアノの話でした。
ロンドンのソーホーにあるトライデントスタジオはブリティッシュロックのサウンドを代表するサウンドを作り上げた伝説のスタジオですが、1960年代当時多くのアーティストたちがこのトライデントスタジオを使った理由は、ほとんどのレコーディングスタジオがまだ4トラックレコーダーを使っていた時代に、トライデントは先んじて8トラックのレコーダーを入れていたことでした。
ビートルズの『ヘイ・ジュード』はここで録音されましたが、あのイントロで使われているピアノは、トライデントスタジオにあった「ベヒシュタイン」というメーカーのグランドピアノで、これはポピュラーミュージックではめったに使われないものでした。
「あの音、ほかでも聴いたことがあるな」と前から思っていましたが、エルトン・ジョンの『僕の歌は君の歌』も、デビッド・ボウイの『レディースターダスト』もトライデントスタジオで録音されており、いずれも『ヘイ・ジュード』と同じベヒシュタインのピアノが使われているのだそうです。
不朽の名曲がいずれも同じピアノで録音されていたことを、初めて知り、「そうだったのか!」と思わず叫んでしまいました。
この本の最後、19のスタジオの話が終わったあとに「1972年のレコードはなぜ音が良かったのか」という1章がありますが、これが抜群に面白い論考です。
ある意味、推理小説的な楽しみもあるため、ネタバレを避けるためにもあえて答えは書きませんが、ロックやポップスという音楽がいかにレコーディングスタジオ、録音技術、ミュージシャンの資質、そして音楽制作の方法に密接に関係しているのかがよくわかります。
ちょっとだけヒントを書いておくと、1972年に何か1つの要因が完成度を上げたかので音が良くなった、というわけではなく、音楽制作における様々な要素がちょうど過渡期にあり、複数の要素が1972年に奇跡的に絶妙なバランスになったという、ワインのグレートビンテージ(当たり年)のようなものだったようです。
さて、最後にこの本のおススメな楽しみ方をご紹介します。
本書では、各スタジオの章ごとに、そのスタジオで録音された5枚の名盤が紹介されているのですが、SpotifyやAppleミュージック、など定額制音楽配信サービスで、それぞれのスタジオで録音された名盤、名演を実際に聴きながら本書を読む、というのがいちばん便利で、しかも書かれている内容が良くわかるという、いちばん贅沢な楽しみ方だと思います。
5枚のアルバムを聴き比べていくうちに、その「スタジオの音」がどういうものか、だんだんわかってくるような気がします。
名盤は、何度聞いても決して飽きることはありませんが、そのレコーディングスタジオのことや機材のこと、エンジニアのことまでもわかるようになれば、より深く、より重層的に音楽が味わえるようになるのではないでしょうか。
デノンブログの読者のみなさまに、ぜひオススメしたい一冊です。
(編集部I)