素顔の音楽家たち第3回 リストはアイドル!
後世の人を魅了する素晴らしい音楽を創造した作曲家、演奏家たちって、もし隣にいたら一体どんな人物だったんだろう、と思うことがありませんか。「素顔の音楽家たち」3回目は、「リストはアイドル!」。
今回はクラシック界、最高のモテ男、リストに迫ってみたいと思います。
リストの作品といえば、フジコ・ヘミングの演奏でも話題になった《ラ・カンパネラ》や、
フィギュアスケートでもよく使用される《愛の夢》、全12曲からなる《超絶技巧練習曲》などのピアノ曲が有名でしょう。
リストはモーツァルト同様、生まれながらの天才で、1811年、ハンガリーのライディングという町に生まれ、
幼少の頃から才能を発揮していました。
10歳のとき一家でウィーンに移住すると、ベートーヴェンの弟子であり、教則本で有名なチェルニーや、
映画『アマデウス』で有名なサリエリらにピアノや作曲を師事し、その頃から演奏家・作曲家としての活動を始めています。
その後パリに移住し、12歳でデビューすると、わずか数年で“最高のピアニスト”と呼ばれる存在になります。
当時、パリの上流階級の女性たちは、リストのことを「小さな奇跡」と呼んでもてはやし、
こぞって彼からピアノのレッスンを受けようとしました。
要するに、リストは子供の頃からモテモテだったわけですが、成長するにつれて、そのモテぶりは加速度的にアップしていきます。
その理由は、彼がピアニストとして進化し続けていたから、と、もうひとつ。
愛らしかったリスト少年が、みるみるうちに“超イイ男”に成長していったからです。
若い頃のリストの肖像画を見るとわかりますが、彼は目鼻立ちのスッキリしたイケメンで、髪型は口もとにかかるぐらいのワンレングス。
すらりとした長身で、細長く華奢な美しい指を持ち、ファッションセンスも抜群だったようです。
その上、明るく外交的な性格で誰にでも優しく、勉強家でもあったので知識も豊富。
倹約家ではなかったけれど、お金にだらしないところもなく……とまあ、実に見事な男っぷり。
自己顕示欲が強く、少々自己中心的なところはあったようですが、
それはそれでエネルギッシュな男としての魅力を、周囲に振りまいていたことでしょう。そ
んなわけで、リストに言い寄ってくる女たちは数知れず、その上、リスト自身も相当な女たらしだったため、
彼は長年にわたって浮名を流し続けることになるのです。
リストが活躍した時代はヴィルトオーソ(技巧的な一流演奏家)の時代であり、いわゆる名人芸的な演奏が好まれていました。
若い頃のリストは、その点をじゅうじゅう意識して、演奏活動を行っていました。
演奏会では、ピアノの前に座ると、まず、おもむろに手袋をはずし、顔にかかった長い前髪をかき上げ、
しばし瞑想するかのような悩ましい表情をしてから鍵盤に手を置いたそうです。
ひとたび演奏が始まると、力強い音色と情熱的な速弾きで、自分で作曲した難曲を弾きまくりました。
それまでのピアニストは、からだをあまり動かさないで弾くのが普通でしたが、
リストの演奏スタイルは、上半身を大きく揺らしながら弾く、大変情熱的なものだったようです。
会場に集まった女性たちはそんなリストを見て、ある者は泣き叫び、ある者は失神……。
さらには演奏が終わると、リストがわざとピアノの上に忘れていった手袋をめぐって淑女たちが争奪戦を始め、
取っ組み合いのケンカになることさえあったとか。
実は、ピアニストがひとりだけでピアノ曲を演奏する“リサイタル”を歴史上初めて行ったのは、リストだったといわれています。
彼はそこにショー的要素を加えた演出を意識的に持ち込んでいたようです。
当時の演奏会は、いまと違ってみんな黙ってじっと演奏を聞いている状態ではなく、わりと騒々しかったのですが、
そんな中でもリストの演奏会の騒ぎは別格で、さながら現代のライブコンサートのような状態。
つまり当時の彼は、現代でいえば、クラシック音楽家というよりむしろ、ロックスターやアイドルのような存在だったのです。
もしも動画が残っていたら、そんなリストの演奏シーンはぜひとも見てみたいものですね。
まあ、それは無理な話なので、ここはひとつ、リスト直系の孫弟子として知られているボレット(リストに直接ピアノを師事していた
ローゼンタールに師事していたピアニスト)の演奏を聞いて、想像を膨らませてみることにいたしましょう。
アーティスト名:ホルヘ・ボレット
アルバム・タイトル:愛の夢&ラ・カンパネラ〜リスト名演集
ソニーミュージックジャパン
(ライター 上原章江)
『クラシック・ゴシップ!』 〜いい男。ダメな男。歴史を作った作曲家の素顔〜
上原章江 著 ヤマハミュージックメディア