デノンを作った人 穴澤 健明さん その2 「デジタル録音に向けたデノンの取り組み」
元日本コロムビアの録音エンジニアの穴澤 健明さんです。穴澤さんは、CD登場の10年前である1972年に世界で初めての商用デジタル録音に携わった方。第2回は、デジタル録音に向けた、当時のデノンの取り組みについて話していただきます。
「デノンを作った人」でお話しいただくのは、元日本コロムビアの録音エンジニアの穴澤 健明さんです。
穴澤さんは、CD登場の10年前である1972年に世界で初めての商用デジタル録音に携わった方。
第2回は、デジタル録音に向けた、当時のデノンの取り組みについて話していただきます。
●ジッターこそ音質を悪化させる最大の要因だ
最近はオーディオの世界で「デジタル」というと、ダイナミックレンジの広さばかりが注目されているように感じますが、
そもそもデジタル録音機はダイナミックレンジの拡張を目指して開発したわけではありません。
前回述べたように、アナログの時代には磁気テープが収録の際に音質を悪化させる要因になっていました。
悪化する理由は、テープ録音により発生する回転ムラ、つまりジッターです。
ジッターとは、時間軸上のゆらぎなどに起因する音の揺れのこと。テープ録音の場合、テープを物理的に回転させるため、
どうしても回転ムラが起き、ジッターが発生します。テープでのアナログレコーディングではそのジッターが避けられず、
音のクリアさを損なっていました。
一方テープを介さないダイレクトカッティングや実況放送だとテープメディアで発生しやすいジッターがなく、音がクリアだったのです。
そこで私たちは「ジッターこそ音を悪くする最大の要因だ」と考え、ジッターを排除するために、
磁気テープを介さないデジタル録音機の開発に取り組みました。
●モノクロ放送用のVTRテープに、デジタル信号を記録した
デジタル録音機の試作1号機 DN-023Rは、アナログ信号をデジタル信号に変換するA/Dコンバーター(アナログ/デジタルコンバーター)と記録機、
記録媒体、D/Aコンバーター(デジタル/アナログコンバーター)で構成されます。
記録媒体には、モノクロ放送用の2インチVTRテープを使いました。テレビ放送用のテープに、デジタル信号を記録したのです。
デジタルは、ON/OFFが記録できればよいので、白と黒が記録できるモノクロ用のビデオテープレコーダーで十分でした。
このモノクロ用ビデオテープレコーダーの採用には、1964年に開催された東京オリンピックが関係しています。
東京オリンピックを契機に、テレビは白黒放送からカラー放送へと大きくシフトしました。
その結果、放送局ではモノクロの4ヘッドビデオテープレコーダーが余り、安く入手できたのです。
そのローバンド4ヘッドモノクロ用ビデオテープレコーダーを改造して記録機として使い、
A/DコンバーターとD/Aコンバーターは8チャンネルのものを開発しました。
8チャンネルというのは、2インチVTRテープに記録するのにちょうどよいチャンネル数でした。
しかも8チャンネルまで必要としないときには、4チャンネルとして使うことで、より安定した動作を確保することができました。
つまり、通常は安定して使うために4チャンネルとして動作させ、チャンネル数を増やしたい場合には8チャンネルで動かせるようにしておいたわけです。
データ誤りの検出や訂正用LSIの入手が困難であった当時、デジタル録音機を扱う中でもっとも重要で、
もっとも厄介だったのは記録機です。データ誤りを起こさせないこと、仮に起こっても誤りを検出したり訂正する機能が働くことが大切でした。
この記録機開発は、当時日立グループの傘下に入った芝電気株式会社の技術が支えました。
芝電気株式会社は、ビデオテープレコーダーを製造していた会社。その技術が1号機にも投入されているのです。
●2年の開発期間を経て、1972年、デノンの試作初号機が完成
開発のベースになったNHK技研の試作機は工業用のビデオテープレコーダーとテープを使ったため、
安定した動作を確保することが難しく不安定なところがあり、編集もできませんでした。
DN-023Rはさまざまな技術や工夫を取り入れたことで、安定性が増し、編集もでき、使いやすさも飛躍的に向上しました。
この段階で実用レベルに達したといえます。
この最初のデジタル録音機DN-023Rの開発には約2年を要しました。
そして1972年4月に、折から来日中のスメタナ四重奏団にモーツァルトの「狩」他を演奏してもらい、世界初の商用デジタル録音を行いました。
DN-023Rで編集中の穴澤さん
●次の試作機を設計しつつ、デジタル録音を繰り返した
写真を見ればわかるように、試作1号機はかなり大掛かりな機械でした。
その上、2インチのVTRテープは1本10kgくらいありましたし、
試作機はひとつしかありませんでしたので移動時には補修部品も持ち運ぶ必要がありました。
そのため収録に行くときは全部で1トン以上の荷物になりました。私たちは自分たちのことを「サーカスの一座」と呼んでいました。
1号機による世界初の商用デジタル録音を成功させた後も、デジタル化への挑戦は続きました。
海外収録用に小型のものを開発して持ち運びやすくするなど、改善を加えながら、5世代くらいのデジタル録音機を作り続けました。
実際に試作機で収録してみると、新しい課題が次々に見えてきます。
収録作業をする傍らで、頭の中では「次はこういう方法を取り入れてみよう」「ここを変えると音質が良くなるかもしれない」と
試行錯誤しながら次の試作機の設計をしているという感じでした。
そのような試行錯誤の繰り返しの上に、音楽のデジタル化の技術、ノウハウが蓄積されていきました。
そういう積み重ねが、1982年に登場するCDに活かされているのです。
──今回はここまで。第3回は「世界初のデジタル録音は、スメタナ四重奏団」。
なぜ、世界初の商用デジタル録音がスメタナ四重奏団だったのか、その秘密が明かされます。
(Denon Official Blog 編集部 O)