ビーチ・ボーイズの天才ソングライター。その栄光と現在(いま)を描くドキュメンタリー『ブライアン・ウィルソン/約束の旅路』
山下達郎、大瀧詠一、細野晴臣、星野源、そして村上春樹までがファンであることを公言している元ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソン。本人に密着した初めてのドキュメンタリー映画が2022年8月12日より全国で公開されます。音楽ファン必見のこの映画を、音楽・映画・旅行ライター前原利行さんにレビューしてもらいました。
アメリカのロックグループ、ビーチ・ボーイズの中心メンバーであり、ソングライター、コンポーザーも務めているのがブライアン・ウィルソンです。その音楽は、初期のシンプルなサウンドから次第に複雑化していき、1966年には大傑作アルバム『ペット・サウンズ』を生み出します。しかしその後、ブライアンはグループから離れていきます。
ビーチ・ボーイズのドキュメンタリーは過去にもありましたが、インタビュー嫌いのブライアン本人に長時間密着したのはこのドキュメンタリーが初めてでしょう。ブライアンの肉声を引き出したのは、彼の古くからの友人で編集者のジェイソン・ファイン。さらに現在のブライアンの活動とアーカイブ映像、そしてブライアンから影響を受けたミュージシャンたちによるコメントなどを通し、ブライアン・ウィルソンという人物に迫る90分です。
Ⓒ2021TEXAS PET SOUNDS PRODUCTIONS, LLC
『ブライアン・ウィルソン/約束の旅路』
2021年/アメリカ
監督:ブレント・ウィルソン
出演:ブライアン・ウィルソン、ジェイソン・ファイン、ブルース・スプリングスティーン、エルトン・ジョン、ニック・ジョナス、ジェイコブ・ディラン、テイラー・ホーキンス
配給:パルコ ユニバーサル映画
公開:2022年8月12日よりTOHOシネマズ シャンテ、渋谷ホワイトシネクイントほかにて全国公開
公式ウェブサイト:https://www.universalpictures.jp/micro/brian-wilson
ビーチ・ボーイズとしての成功
♪「アイ・ゲット・アラウンド」(1964)エド・サリヴァンショー
ブライアン・ウィルソンは、1942年6月20日にカリフォルニア州のイングルウッドに生まれました。2歳の時にロサンゼルス郡南西部の都市ホーソーンに一家は移住。そこでブライアンは少年時代に早くも音楽の才能を発揮し、各種楽器を演奏、12歳でオリジナルの作曲も開始します。1961年、弟のデニス、カール、従兄弟のマイク・ラヴ、高校時代の友人のアル・ジャーディンと共にグループを結成。これがのちのビーチ・ボーイズです。マネージャーはブライアンの父マレーで、彼もまたシンガー・ソングライターだった経歴がありました。彼らは大手のキャピトル・レコードと契約し、1962年6月発売の移籍第一弾シングル「サーフィン・サファリ」が全米14位のヒットとなります。
ブライアンはライブではベース、コーラス、リードボーカルを担当。オリジナル曲のほとんどの作曲を手がけ、レコーディングでは21歳にしてプロデューサーも務めるという、バンドの実質的なリーダーでもありました。バンド初期は“サーファーの若者”というイメージで活動していましたが、実はメンバーで実際にサーフィンをしていたのは弟のデニスだけでした。しかしブライアンは、世間が求めるサーファーのイメージ通りの曲を作り、1963年には「サーフィンU.S.A.」(3位)「サーファー・ガール」(7位)、1964年には「ファン・ファン・ファン」(5位)、「アイ・ゲット・アラウンド」(1位)、1965年には「ヘルプ・ミー・ロンダ」(1位)、「カリフォルニア・ガールズ」(3位)と次々とヒット曲をチャートに送り込みます。
♪「カリフォルニア・ガールズ」(1965)
しかし人気者になると同時に、ブライアンは問題を抱えるようになります。まずは父マレーとの対立です。マレーは家庭では子供たちを殴りつけるような強権的な父親でした。マネージャーになった後もそれは変わらず、メンバーを自分の支配下に置こうとしました。その結果、マレーは息子たちによって解雇されてしまいます。
次にビートルズに始まる英国ロック勢のアメリカ進出です。ブライアンは特にビートルズに対抗意識を持ち、「良い曲を」とプレッシャーを感じるようになります。1964年末、ストレスが溜まったブライアンは飛行機の中で大きな不安に襲われ、それをきっかけにツアーへの参加を停止。その後しばらく、ビーチ・ボーイズの録音はメンバーがツアーに出ている間にブライアンがスタジオミュージャンを使ってすませ、メンバーは歌入れだけをするようになっていきます。
傑作『ペット・サウンズ』と長い低迷時代、そして復活。
1965年12月、ビートルズのアルバム『ラバー・ソウル』を聴いたブライアンが、それをしのぐアルバムを作ろうと取り掛かったのが『ペット・サウンズ』です。複雑な編曲を「レッキング・クルー」と呼ばれるLAの腕利きのスタジオミュージシャンが演奏し、テープ編集も加えて完成した音楽は、それまでのどんな音楽とも異なっていました。もはや通常のバンド編成ではライブでの再現が不可能だったので、ブライアン以外のメンバーはボーカルとコーラスしか参加していません。今では大傑作とされるこのアルバムですが、1966年5月の発売当時、アメリカではほとんど反応がありませんでした。しかしイギリスで大ヒット。以降、ビーチ・ボーイズはアメリカ本国より欧州での人気が高まっていくことになります。
♪「グッド・ヴァイブレーション(Good Vibrations)」(1966)
『ペット・サウンズ』と同時期に録音され、1966年10月に発売されたシングル『グッド・ヴァイブレーション』は、米英で1位。しかしブライアンは精神疾患がひどくなり、次のアルバム『スマイル』を完成させることができなくなりました。これを他のメンバーが『スマイリー・スマイル』として1967年9月に発表。以降、薬物やアルコールにますます依存するブラインに代わり、バンドは弟のカールがまとめていくようになります。
1970年代末には、ブライアンは精神科医ユージン・ランディに精神的に支配されていました。そんな彼を救い出したのは、2番目の妻となるメリンダでした。ブライアンは1995年に彼女と結婚し、1999年以降はビーチ・ボーイズとも袂を分ち、ソロ活動を積極的に行うようになります。ソロではコンサートツアーも積極的に行い、2000年以降は『ペット・サウンズ』全曲演奏ツアーを行い、2004年には未完成だった『スマイル』もブライアン・ウィルソン名義で発表。今もコンスタントに新作アルバムの発表とツアーを行っています。
今までに作られたブライアン関連の作品
ブライアン・ウィルソンとビーチ・ボーイズに関しては、今までにもドキュメンタリーや劇映画が作られてきました。1998年製作のドキュメンタリー『エンドレス・ハーモニー』では、ビーチ・ボーイズのアーカイブ映像などをふんだんに使い、彼らが歩んだ道のりがわかります。2014年の『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』は、ビーチ・ボーイズではなくブライアン・ウィルソンを描いた音楽映画で、1960年代の『ペット・サウンズ』の録音の時代にブライアンがドラッグに溺れていく様子と、1980年代にメリンダと出会い、精神科医からの支配から脱却していく姿が描かれています。
亡き弟たちへの想いを感じる
本作の見どころを紹介しましょう。まず1つ目、大変貴重なのはインタビューにはほとんど応じないブライアンの生の姿が全編にわたって見られるところです。精神的な問題から、人との関わり合いを極端に避けるプライアン。今回このドキュメンタリーに出ているのも、インタビューワーが長年の友人である元「ローリングストーン」誌の編集者ジェイソン・ファインという気心がしれた仲だからでしょう。しかもインタビューは、ジェイソンとブライアンのドライブ中という、2人だけの親密な空間の中で行われました。緊張するとブラインは家に帰ってしまうので、できるだけ撮影を本人が意識しない環境の中で行っているのです。
Ⓒ2021TEXAS PET SOUNDS PRODUCTIONS, LLC
ブライアンが兄弟と育った街、デビューアルバムのジャケット写真を撮影した海岸、最初の妻と暮らした家などを訪れるうち、ブライアンは過去に自分が作った曲をリクエストするようになっていきます。気持ちが動揺するとブライアンがリクエストするのが、ビーチ・ボーイズの明るいタッチの曲「イッツ・OK」(1976)です。
♪「イッツ・OK」(1976)
ハンサムでバンドで一番人気があったのがブライアンの弟のデニスでした。彼はドラム担当で、1970年代に入ると、もう一人の弟のカールと共に優れた楽曲を提供するようになります。しかし彼もまたドラッグやアルコールに依存し、1983年に39歳の若さで泥酔して海で溺死してしまいます。本作では、そのデニスの唯一のソロアルバムを1曲しか聴いたことがないというブライアンに、ジェイソンがアルバムを通しで聴かせるシーンが印象的です。
ウィルソン兄弟の末弟であるカールは、リードギターを担当。穏やかな性格で、1970年代にブライアンがバンドから遠ざかると、代わってバンドの中心人物になります。美しい歌声で「グッド・ヴァイブレーション」「神のみぞ知る」といったビーチ・ボーイズの代表曲のリードボーカルはカールが担当しています(作曲はブライアン)。しかし1998年に肺がんで51歳の若さで亡くなりました。カールの家のそばをドライブ中に、ジェイソンが「(彼の)奥さんに挨拶に行こう」と車を降りますが、「僕はここで待っている」と車を降りようとしないブライアンの姿が印象的です。カールの死を、ブライアンはまだ心の中で処理しきれてないのでしょう。本作ではそのカールの曲「ロング・プロミスド・ロード(約束の旅路)」をブライアンがカバーしています。そしてこの曲はこの映画のタイトルになっています。
♪「ロング・プロミスド・ロード」(1971)Long Promised Road (Remastered 2009)
貴重なアーカイブ映像とリスペクトするミュージシャンたちのインタビューも
Ⓒ2021TEXAS PET SOUNDS PRODUCTIONS, LLC
2つ目の見どころは、貴重なアーカイブ映像です。演奏シーンだけではなく、レコーディング風景や家族とのシーンも含まれています。
そして3つ目が、ブライアンに影響を受けたミュージシャンたちへのインタビューです。ブルース・スプリングスティーンやエルトン・ジョンといった大物から、2022年3月に亡くなったフー・ファイターズのドラマーのテイラー・ホーキンスまで、その音楽について語る姿は貴重でしょう(個人的にはブライアンのベースラインに影響を受けたと公言しているポール・マッカートニーへのインタビューも欲しかったですが)。
♪Happy 80th Birthday, Brian!
日本では、山下達郎、大瀧詠一、細野晴臣、星野源などのミュージシャンだけでなく、村上春樹といった作家にまでファンを公言されているブライアン・ウィルソン。精神疾患は現在も完治していませんが、自分の病気とうまく折り合いをつけながら音楽活動をしています。2022年6月20日に80歳の誕生日を迎えたブライアン。ぜひ、この機会にこのドキュメンタリーをご鑑賞ください。
♪『ブライアン・ウィルソン/約束の旅路』予告編
前原利行(まえはら・としゆき)
音楽・映画・旅行ライター。映画や音楽、アート、歴史など海外カルチャー全般に興味があり、執筆している。今は国内旅行にハマり、月一で出かけている。ボブ・ディランは中学生の時からのファンで、公式アルバムはすべて持っている。