読む音楽「踊る大ハリウッド ケリー、アステアから考えるミュージカル映画の深化」 元来 渉 著
久々の「読む音楽」のコーナー、今回はハリウッドの往年のミュージカルスター、フレッド・アステアのダンスシーン鑑賞に最近ハマっているというデノンブログ編集部員Wが、ミュージカル映画の楽しみ方をユニークな視点から解説した一冊をご紹介します。元来渉さんの「踊る大ハリウッド ケリー、アステアから考えるミュージカル映画の深化」です。本書の紹介の前に、アステアの経歴に関する記事やダンスシーンの動画もありますので、ぜひご覧ください。
「アステアのように」と歌われた、踊りの名手
皆さん、こんにちは。編集部員Wです。今回は、古いミュージカル映画を楽しむためにとても参考になる本「踊る大ハリウッド ケリー、アステアから考えるミュージカル映画の深化」(元来 渉 著 幻冬舎刊)をご紹介します。筆者が本書を手に取ったきっかけは、往年のミュージカルスター、フレッド・アステア(Fred Astaire:1899年~1987年)の数々の素晴らしいダンスシーンを鑑賞するうちに、彼の(とびきりエレガントな)ダンスが生まれた理由や背景を知りたくなったからです。本書のお話をする前に、まずはアステアとはどんな素晴らしいダンサーであったかを、その経歴を駆け足で辿りながらご紹介したいと思います。
折しも2023年春、米国のソニー・ピクチャーズがフレッド・アステアの伝記映画を準備中というニュースが流れ、映画やミュージカルファンの間で大きな話題となりました。アステアと黄金期のハリウッドミュージカル映画が再評価されそうな今、ひと足お先にその伝説に触れてみましょう。
踊る大ハリウッド ケリー、アステアから考えるミュージカル映画の深化
元来 渉 著
フレッド・アステアは、主に1930年代~1950年代にかけてのハリウッドのミュージカル映画全盛期の象徴ともいえる俳優兼ダンサーで、「トップ・ハット」「バンド・ワゴン」「パリの恋人」など、30本以上のミュージカル映画に出演しているレジェンドです。彼のダンスは、とにかくエレガント。一つひとつの動きがしなやかで、まるで羽が舞うような軽さを感じます。そして、その緩急のある身のこなしには優雅さを感じます。
説明するよりも見てもらった方が早い! ということで、まずはアステアの映画のダンスシーンを集めたアーカイブ映像をご覧ください。
彼が踊れば、そこは夢の世界。周囲の花や小道具も、あるいは舞台セット、描き割の街の景色までも、まるで生命が宿って踊り出すようです。その踊りが生み出す優雅さと高揚感は、Jamesの「ジャスト・ライク・フレッド・アステア」という曲の歌詞で『彼女を抱きかかえると、まるでフレッド・アステアになった気持ち(‘Cause when I hold her in my arms/I feel like Fred Astaire)」と歌われるほど。他にも多くのアーティストの曲にアステアの名が使われていることを見ても、彼のダンスやステップがいかに画期的なものであったかがわかります。
姉、そしてジンジャーとのペアで世界的な人気者に
フレッド・アステアは、1899年にアメリカのネブラスカ州に、ドイツ系オーストリア移民の子として生まれました。子供の頃に一家はニューヨークへ移り住み、ダンスの才能に秀でた2歳年上の姉アデールのレッスンに付いて行くうちに彼もダンスを習うようになりました。フレッドはめきめきと上達し、やがて姉弟で全米のボードビル劇場を巡演するようになります。やがて2人はブロードウェイ・デビューを果たし、若くして名声を獲得。イギリス公演にも呼ばれます。ここでも姉弟コンビは大評判となり、ロンドン公演はロングランを記録。当時のイギリス皇太子も来場し、10回も観覧したといいます。
このように人気を誇った2人でしたが、アデールはイギリスの貴族から求婚され、結婚を機に1932年芸能界を引退します。長年のパートナーを失ったアステアは迷いに迷った末に、舞台の世界からハリウッドへの進出を決め、大手映画会社の一つであったRKO社と契約、ジンジャー・ロジャース(Ginger Rogers)と新たにコンビを結成します。ジェローム・カーンやアーヴィング・バーリン、ジョージ・ガーシュインら当時一流の作家たちの手になるナンバーを歌い踊るアステアとジンジャーは、映画史上最高のダンシング・コンビとされ、「コンチネンタル(1934)」「トップ・ハット(1935)」「有頂天時代(1936)」などの作品で華麗なダンスを披露し、世界の人々を熱狂させました。
これ1936年ですよ。日本では昭和11年(!)。ジンジャーとの躍動感と息の合ったステップとジャンプに目が釘付けになりますね。90年近く経った今見てもワクワクする最高のダンスシーンです。
ジンジャーとの黄金コンビ解消後の1940年代には、RKOの他にもMGM(メトロ・ゴールデン・マイヤー)やコロンビアなどいくつもの映画会社で、エレノア・パウエルやリタ・ヘイワースなどの素晴らしいパートナーと共演しました。そして折からのミュージカル再ブームの波にも乗り、「踊る結婚式(1941)」「スイング・ホテル(1942)」「ジーグフェルド・フォリーズ(1945)」などの優れた作品に出演しましたが、1946年、すでに40代後半になりダンサーとして年齢的にピークを過ぎたと考えたアステアは引退を宣言します。
引退からの復帰、年を重ねて円熟のパフォーマンスを披露
しかしその翌1947年、ジュディ・ガーランドとジーン・ケリーというトップスター2人の共演作「イースター・パレード」の撮影中に、ケリーが足首を折るという大怪我をしてしまいます。お見舞いの電話をかけたアステアは、ケリーから「代わりに主演を頼めないか」と頼まれ、早々に映画の世界に復帰します。
代役として出演した、この「イースター・パレード(1948)」は素晴らしい映画です。冒頭のドラムや子供の玩具を使った曲芸的なシークエンスの後も、年齢を感じさせない完成度の高いダンスが見る者を魅了します。主演の天才ジュディ・ガーランドはもちろん、タップを交えた野性味あふれるダンスシーンから目が離せないアン・ミラーやその他の共演者のダンスも素晴らしく、コメディー要素も満載で全編まったく飽きさせない展開。MGMミュージカル映画の人気作品です。
このとき年齢は50歳近いアステアですが、当時20代半ばのジュディとの年の差を感じさせない、素晴らしい歌と踊りで楽しませてくれます。
この映画の成功をきっかけに出演依頼が相次いだアステアは、その後も大作「バンド・ワゴン」(1953年)に主演するなど多くの作品で名演とダンスを披露し、70歳手前の年齢までミュージカル映画に出演しました。その後は渋い脇役俳優として活躍し、1974年に公開されたパニック映画「タワーリング・インフェルノ」では老詐欺師に扮し、アカデミー助演男優賞にノミネートされたことをご存じの方も多いと思います。
1987年にアステアは88歳で息を引き取りますが、そのダンスが後世に与えた影響は大きく、マイケル・ジャクソンもアステアの大ファンでした。アステアの主演映画のナンバー「踊るリッツの夜Puttin’ On the Ritz」をカバーしたことがありますし、自らのパフォーマンスの随所にアステアのステップを取り入れています。アステアは、以前のダンスでやったことは決して繰り返さないというルールを自分に課していたといいます。つねに観客にとって新鮮なダンスを披露するために全力を尽くした彼のアイデアは、後の人びとにも大きな刺激を与え続けています。
アステアの軽快なダンスの秘密を知りたいなら、この一冊
さて、本題です。このフレッド・アステアのダンスに魅了された筆者は、彼の出演作や動画を見始めました。その独特の軽やかさと美しくキレのある動きはどこから生まれるのか、アステアの自伝を読んでみても、その秘密はあまり語られていません。もっと彼のダンス、身体的な特徴について考察した本や資料はないものか? と探していたところ、出会ったのが、表題の「踊る大ハリウッド ケリー、アステアから考えるミュージカル映画の深化」でした。
本書は、アステアと並び称されるジーン・ケリー* とフレッド・アステアをそれぞれ1部と2部に配して、ミュージカル映画の楽しみ方を、深く、丁寧に解説してくれる本です。ケリーの人生と出演映画をたどりながら彼が切り拓いたミュージカル映画の輝かしい歴史をたどる第1部に続き、第2部ではアステアのダンスの魅力を明らかにする(なかなかない)試みを通じて、ミュージカルにおけるダンスの奥深さを探っていきます。
* アイルランド系の労働者の子に生まれ、その抜群の身体能力とアイデアでミュージカル映画を革新した俳優・ダンサー。 MGMミュージカル映画絶頂期の「踊る大紐育(1949)」「巴里のアメリカ人(1951)」「雨に唄えば(1952年)」をはじめ、数多くの名作に主演しています。
第2部では、アステア独特の軽やかでキレのある動きを生み出すために彼が大切にしていたと思われるポイントを考察しています。それは例えば、筋肉よりも関節や骨格を重視した動き、中心軸や指・手先への意識、予備動作のない動き、タイム感などですが、それらのポイントの一つひとつを主要なダンスシーンを参照しながら、あるいは様々な関係者や本人の言葉をもとに解き明かしていきます。
彼のダンスの何が魅力で、どのようにそれが生み出されたのかを推察するこのパートは、知的な刺激に満ちています。また、著名なジンジャー・ロジャースをはじめ数々のダンス・パートナーや助演俳優の魅力や個性の違いについても考察していて、多角的にアステアの魅力が語られます。著者である元来渉氏ご自身もダンスやミュージカルの専門家ではなく、趣味でミュージカル映画のダンスを研究し、ブログに執筆を続けていた方とのこと。その愛好者の目線でのわかりやすい解説が、同じくダンスの門外漢である自分にはとても響きました。
今は、映画作品のブルーレイや動画サイトなどでアステアやジーン・ケリーの映画のダンスシーンを見ることができます。本書を入口にして、アステアやケリーのダンス映像や黄金時代のミュージカル映画の数々に触れてみませんか?
【補足】
最後に、アステアの代表的な20のダンスシーンをセレクトした映像特集がありますので、ご参考までにリンクを貼っておきます。全編で26分ほどありますが、どれも楽しく、素晴らしいものばかりです。お時間のある時に合わせてご覧ください。
05:30頃~ 「ジーグフェルド・フォリーズ(1945) 」ジーン・ケリーとのデュエットダンスシーンです。身体つきや細かな動き、タイム感、肩などの可動域など、2人の個性の違いがよくわかります。
07:48頃~ 本稿でも触れた「イースター・パレード(1948)」の冒頭の玩具店でのドラミングシークエンス。これはもう曲芸に近い、楽しすぎるパフォーマンス!
14:20頃~ 「晴れて今宵は(1942)」 当時大人気だったリタ・ヘイワースとのダンスは、ジンジャー・ロジャースとのコンビとはまた違う快活な楽しさにあふれています。
23:00頃~ 「ブルー・スカイ(1946)」 後年マイケル・ジャクソンらがカバーした「踊るリッツの夜Puttin’ On the Ritz」トップ・ハットにステッキ、黒の燕尾服という出で立ちで自在に踊るアステア。映像のアイデアも多彩です。
参考文献:「フレッド・アステア自伝」(フレッド・アステア著 篠儀直子訳 青土社刊)他
(編集部W)