デノン創業110周年記念コンテンツ2 レコードプレーヤー開発者 岡芹亮インタビュー
デノンは2020年10月1日に創業110周年を迎えます。デノンオフィシャルブログでは110周年を記念しデノンの歴史や音に対する哲学、ものづくりへの思い、記念碑的なプロダクト、キーパーソンへのインタビューなどをシリーズでお送りします。第2回はカートリッジやレコードプレーヤーなどの開発に携わってきた岡芹亮に話を聞きました。
デノンのルーツは蓄音機。創業期からレコードプレーヤーとともにあった
●岡芹さんはデノンの社歴は長いのでしょうか。
岡芹:長いです。新卒で日本コロムビア(株)に入社し、今、デノンでは、たぶん最長老だと思います。
●最初はどんな仕事をされたのですか。
岡芹:最初は三鷹事業所にある設計部に配属されました。デノンは当時日本コロムビアの音響機器部門で、入社時はデノンではなくデンオンと呼ばれていました。三鷹事業所は、コロムビアに吸収合併された日本電気音響株式会社という放送機器を製造していた会社の社屋でした。日本電気音響=電音(デンオン)で、この名前がデノンブランドのルーツです。
●三鷹事業所で何を担当されたのですか。
岡芹:私はカートリッジの開発部門に配属されました。タイミング的にはこれからいよいよパッケージメディア音源がレコードからCDになろうというアナログからデジタルへの転換の過渡期でした。後にデジタル機器の開発設計に移りましたが、今思えばトランスデューサー技術から設計を経験できたことは幸運だったと思っています。
●入社してしばらくは、カートリッジを設計されていたのですか。
岡芹:入社以降5年ほどカートリッジの設計をしていました。カートリッジは単体で存在するものではないのでその周辺機器であるレコードプレーヤーのトーンアームやターンテーブルについても、ひととおり設計者として知識を身につけるための指導を受けました。
●デノンは2020年に創業110周年を迎えますが、レコードプレーヤーを中心とした視点でデノンの110周年についてお話しいただけますでしょうか。
岡芹:まず創業ということで言えば、デノンの発祥は「日本蓄音機商会」です。これが日本コロムビアのルーツであって、そこから数えての110周年なんです。そう考えると、デノンの前身は蓄音機の会社だったわけで、創業した時から円盤を回す機械とともにあった会社であると言っていいのではないでしょうか。
↑ディーアンドエムホールディングス川崎本社に飾られている蓄音機 ニッポノホン35号(大正4年 日本蓄音機商会川崎工場製)
●昭和天皇の終戦の詔勅の玉音盤を録音したのもデノン製だったそうですね。
岡芹:はい。玉音盤を録音再生したのは、日本電気音響が作ったDP-17K可搬型円盤録音機でした。終戦の昭和20年当時テープレコーダーなどはありませんから、録音盤にはアセテート盤が用いられ録音後直ちに再生していたんです。録音はアセテート盤にカッターで溝を刻むことによって行われました。
日本電気音響は戦前、創業以来(昭和14年)からNHKに様々な放送機器を納入していました。日本電気音響創立以前、日本ではまだ国産の録音機がありませんでした。当時はドイツのテレフンケン社の円盤録音機が使われていたと言われています。しかしそれは優れた性能を持ちながらも非常に高価なものだったそうです。なんとか国産化したいということで日本電気音響が依頼を受け国産の円盤録音機を開発、製造しました。その技術が日本の運命を左右する瞬間の歴史に関わる玉音盤の録音再生にも使われたわけです。
DP-17-K可搬型円盤録音機についてはこちらをご覧ください
●デノンの前身である日本電気音響は業務用放送機器のメーカーだったのですか。
岡芹:そうです。当初は放送用業務用機器といっても、まだ民放がなかった時代だったのでNHKに放送機器を納めていました。戦後もNHKとの関係は深く、円盤録音再生機を中心に放送機器を納入していましたが昭和26年以降は民放放送局の放送開始によって日本電気音響の製品の生産も増大したそうです。後にコンシューマー用のオーディオ機器に踏み出すきっかけとなるカートリッジのDL-103は、NHKが昭和39年にFMステレオ本放送を開始するにあたり、放送用機器に適合するよう、NHKからの厳しい要求仕様に応えて作られたものです。
DL-103はコンシューマープロダクトのように見えますが元々は業務用機器なのです。
デノンブランドとしてはDL-103の民生参入後、レコードプレーヤーによってその道を拡大しようとしました。
「他社より技術的に優れた製品を作る」「信頼性の高い製品を作る」「信頼できるメーカーとしての評価を得る」
●デノンが最初に民生用に手掛けた製品が、FMステレオ放送のために開発されたカートリッジ「DL-103」だったのですね。
岡芹:そうです。日本電気音響はガチガチの業務用機器メーカーでしたが、放送機器は買ってくれるのが基本的に放送局だけですから、どうしても市場規模に限界があります。コンシューマー市場に魅力を感じていたにもかかわらず量産技術、生産、販売などコンシューマー市場に打って出る力がなかったのが実体だったのだと思います。
昭和22年に日本コロムビアの資本傘下に入り、昭和38年に吸収合併という形で日本コロムビアの音響機器部門となったことに加えてDenonブランドを継続して使用することが決定されたことはコンシューマー市場参入の重要な機会になったのだと思います。ちょうどそのタイミングでDL-103がFMステレオ放送で使われました。以降恐らく日本の放送局のほとんどがレコードを再生するのにDL-103を使ったと思いますし、現在放送のソースはCDや他のデジタルコンテンツになりましたが、アナログレコードを再生する場合はDL-103を使っていると思います。
デノンブランド製品をコンシューマー市場に投入するにあたり、放送局用のスタンダードとなったカートリッジのDL-103をそのまま民生用に販売したのが、コンシューマー用のオーディオ機器のはじまりです。昭和45年のことでした。
●民生用に発売されたDL-103は、放送局で使っているDL-103と同じ物ですか。
岡芹:まったく同じ物です。そして当時とまったく同じ構造のDL-103が、今も福島の白河工場(D&M 白河オーディオワークス)で製造されています。ですから、トータルでは56年間作り続けていることになります。
↑白河工場で今も手作りで生産されているDL-103
↑ずらりと並んだDL-103
●DL-103を発売した後で民生用のレコードプレーヤーが出てくるのですか。
岡芹:そうです。レコードプレーヤーに関しても、デノンはFMステレオ放送に対応してDN-302Fなどの放送局用のレコードプレーヤーをNHKに納入していましたので、その技術を活用して民生用レコードプレーヤーを開発し、市場展開しました。
↑放送局用業務機器として生産されたレコードプレーヤーDN-308F
当時三鷹事業所の事業部長が、コンシューマー市場に打って出るにあたり、自らを弱小メーカー的な立場と称し、
- 他社より技術的に優れた製品を作ること
- 品質的に信頼性の高い製品を作ること
- 優れた製品を持つ信頼できるメーカーとしての評価を得ること
の3つの指標を掲げました。
デノンが民生用製品づくりを始める1960年代後半当時、音響機器市場は1950年代後半以降の技術発展によって大手電機メーカーの大量販売へと徐々に移行し、主要メーカーがほぼ占有していたと認識されています。そこにデノンが参入するために、この3つの指標が全社員に共有されていたということでした。その実現のためプロが使う業務用機器を開発、生産してきた経験は民生市場に打って出る迄の技術蓄積として最大限活用されました。民生機器市場でも一般的な量産量販品とは一線を画した特徴を持った製品を世に送りだすという気概を感じることができます。
●この文章には、今も受け継がれている「デノンの製品づくりのフィロソフィー」があるように思います。
岡芹:そうだと思います。デノンの製品は現在も全てのカテゴリーにおいて技術的に他社を凌駕するという一貫した姿勢があります。そして、当時の話に戻すと、その目標に基づいて民生用に開発されたレコードプレーヤーの第一号機がターンテーブルのDP-5000です。
デノンのレコードプレーヤーの代名詞、DP-5000、DP-3000を発売
●デノンとしての民生用レコードプレーヤーの第一号機「DP-5000」はターンテーブルだけなんですね。
岡芹:当時のマニア層はターンテーブル、トーンアーム、カートリッジ、そしてキャビネットをそれぞれ組み合わせる方がほとんどでしたので、DP-5000はターンテーブルだけの製品でした。
↑DP-5000(デノンミュージアム)
●DP-5000はヒットしたのですか。
岡芹:ヒットしました。いきさつは色々あったようです。デザインがかなり斬新でしたから、当時オーディオファンはビックリしたんじゃないでしょうか。当時の資料を見ると慎重論もある中で多くの試行錯誤があったようです。
私がデノンのターンテーブルで好きなところは、製品デザインに業務機器っぽい雰囲気が残っているところで、たとえば33や45のボタンのデザインなどに業務機器のイメージがあるんですよ。押しやすいように大きいですよね。このボタンをバンと押すとすぐに立ちあがって再生するようにできています。これは放送局ならではの操作性なんです。
●その後、DP-3000が続いて発売されるんですね。
岡芹:はい。DP5000と同じくターンテーブルだけの製品がDP-3000、キャビネットつきのものがDP-3700です。基本構造はDP-5000とほぼ同じなんです。ただDP-5000は放送機器をそのままダウンサイジングしたので、民生用としてはToo Muchな点やコスト面での改善が必要なところがありました。そこでよりコストパフォーマンスを向上させたのがDP-3000です。デノンのターンテーブルの中で台数が出たモデルの一つなんじゃないですかね。
↑DP-3000(キャビ内のターンテーブル)(デノンミュージアム)
●DP-5000、DP-3000がデノンのレコードプレーヤーの代名詞という感じですか。
岡芹:まさにデノンのレコードプレーヤーの代名詞だと思います。デノンのコンシューマー市場参入にあたってコンポーネント市場における立場を有利にしたという意味でこの2モデルの役割は極めて大きかったと思います。そしてターンテーブルの駆動方式としてACモーターを使ったのがDP-5000、DP-3000の最大の特徴です。
デノンが世界で初めてACダイレクトドライブを採用した理由
●デノン独自の「ACモーターのダイレクトドライブ」にはどんなメリットがあるのですか。
岡芹:デノンはACモーターを使用することとダイレクトドライブであることにメリットを見出しています。実は放送局ではレコードプレーヤーをちょっとトリッキーな使い方をしていました。番組で曲を再生するためにレコードの溝に針を落としておいて、手動で止めておいて手を離すとレコードが回り出して音が出る、という手法です。そんな使い方で音楽を再生していたんです。かつてはアイドラードライブで機械的に行われるのが一般的でした。
●番組中にキューが出たらすぐに曲が出せるように、ということですか。
岡芹:そうです。
●いわゆるポン出しですよね。指を離すとすぐに正しい回転になるんですか。
岡芹:なります。と言ってもデジタルのメモリーを使用したインスタントスタートのように0秒という訳にはいきません。モーター起動トルクとプラッターのイナーシャの組み合わせで立上げ時間が決まります。で、それをどんどんスマートにしていって、スイッチを押すとすぐに正しい回転数で回り出すダイレクトドライブになっていたんです。
●放送で曲頭をポンと出すために、ダイレクトドライブが要求されていたということですか。
岡芹:そうです。ダイレクトドライブは回転系に機械的損失がないから、33とか45のスイッチを押すとすぐに正確な回転になって曲が始まるわけです。
ちなみに初めてダイレクトドライブACモーターを搭載した放送局用DN302Fは立上げ時間0.2秒、回転角度30度で正規回転になります。
ダイレクトドライブの話も話すと結構長くなっちゃうんですけど、このあたりもおそらくNHKから要求仕様が出てきて、その仕様を満たすように開発していったんだと思います。
いずれにしても放送機器って将来的には絶対自動化されるということがわかっていたので、電気的な制御ができないと使えないだろうということで、ストップ状態から機械的な動作が無く電気的に起動できるダイレクトドライブになる流れは必須だったんですね。
↑当時のカタログに掲載されたACサーボモーターの解説
●ACモーターのダイレクトドライブのレコードプレーヤーというものは、すでにあったのですか。
岡芹:ありませんでした。当時ダイレクトドライブで使用されたモーターはDCモーターでした。DCモーターというのは、コイルに直流の電流を流すことで磁界を発生し、そこにマグネットのローターを入れてS/N極を反発させることによってローターを回します。
ACというのは交流です。多くのACモーターってマグネットがないんです。コイルが何層かになっていて、そこでAC電圧をかけていくとその電流によって発生する磁界ベクトルが合算されて回転し始めます。回転磁界って言うんですけども、その回転磁界に沿ってローターが回転します。マグネットの極による吸着に依存しないためDCモーターで発生するコギングやトルクリップルがなく、滑らかな回転が可能です。
まだ当時レコードプレーヤーにはなかったダイレクトドライブACモーターでターンテーブルを作ったのも、先ほどお話しした「他社より技術的に優れた製品を作ること」の実践であると思います。
↑ACサーボモーターのコイル(当時のカタログより)
●デノンが2018年に久しぶりに新しいレコードプレーヤー「DP-400」「DP-450USB」を出しましたが、このモデルの開発者は岡芹さんですね。その背景にはレコードプレーヤーのリバイバルがあると思いますが、それについての感想があればお聞かせください。
岡芹:レコードプレーヤーはアナログですから、物理特性上はCDより間違いなくダイナミックレンジが狭いですし、歪も多いしS/Nもセパレーションも悪いです。ただ聴いていて思うのは、やっぱり演奏者がいますよね。演奏者がいる空間を感じます。実体感というか空間感、音楽が流れている空気がちょっと違うんですよね。リアリティーがあります。個人的にはそういったものがアナログだと味わいやすいような気がします。
DL-103の開発者の背中を見ながら学んだこと
●岡芹さんにとって特に思い出深い製品はありますか。
岡芹:学生の頃にコンポーネントでシステムを組みました。それでジャズやクラシックを聴いていて、これでちょっとしたオーディオファンの仲間入りかな、なんて思っていました(笑)。
実際は音楽が聴ければよくてあまり音にはうるさくなかったのですが、当時オーディオに凝っている友人がいて。ちょくちょくコンポの買い替えをするので、私は彼の中古を安く売ってもらっていました。
確か最初MMカートリッジのシュアーV15Type3を使っていて、その後カブトムシみたいな形のオルトフォンのMCカートリッジ(SPU-G)をアルバイトして買って、音質の変化に“すげーなー”と思ってました。それでMCカートリッジを調べたら日本にはデノンのDL-103というのがあることを知りました。で、またアルバイトをして昇圧トランスAU320と一緒に購入した思い出があります。日本コロムビアに入社したらそのカートリッジの全てのパーツが仕事の一部として目の前にありました。
●ということは、すごいと思っていた製品の開発セクションに配属されたわけですね。
岡芹:そうです。私が入社した時、DL-103やその周辺機器の設計に携わった方々は現役でした。ですからその先輩達の背中を見てカートリッジとその周辺技術を学ぶことができたのです。
↑DL-103初号機 下に敷かれているのはDL-103と専用トーンアームの青焼きの図面(デノンミュージアム)
それにしても当時の設計者はみんなすごかったです。DL-103だって、あんな小さな物ですが開発段階では全部手作りですからね。最初は何もないわけですから。論理的開発能力と実際にそれを形にする能力がありました。これこそ技術力だと思います。だから私がかつてのデノンやその製品について語るなんてことは誇らしいことですが、本当は非常におこがましいと思ってます。
●岡芹さんが新人時代にはそういうすごい設計者の方がいっぱいまわりにいたわけですね。
岡芹:そうなんです。たとえば入社当時、DL-1000Aという当時10万円のハイエンドカートリッジが開発中でした。
私は新入でしたから “じゃ測定しておいて”、と言われてなんの予測もなく測定し、その特性に驚愕することもなく当たり前と思っていましたが実はとんでもない広帯域再生のものでした。そこに至る技術蓄積、難易度などは知る由もありません。知らないというのは恐ろしいものです。
DL-103は、高域共振周波数というところで見ると、45kHzぐらいです。でもDL-1000 Aのそれは110kHzです。そのぐらいになってくると、全ての特性が良くなるんです。歪みも少なくなるし、クロストークっていう左右の分離度も良くなります。レコードの追従性も格段に向上します。
↑カタログに掲載されたDL-1000A。再生周波数帯域が20Hz〜110kHzと記載されている
岡芹:今思えば広帯域FMステレオ放送開始以降のカートリッジはDL-103から始まって、103S、103D、301、303、305、で1000番と来るんですけど、DL-1000AはDL-103という基本技術を踏襲しつつ振動系、制動系、磁気回路の理想を追求したカートリッジで、デノンカートリッジ技術の集大成だったと思います。日本コロムビア研究部も素材開発から多く関わりました。時代背景もありますがあのようなカートリッジは今後できないでしょうね。そんなカートリッジに関わることができたこと、そこに至る技術経緯を知ったことは私がその後の設計業務を理解する大きな助けになっていることに間違いありません。
↑一番手前がDL-1000A(デノンミュージアム)
今日はありがとうございました。
(編集部I)