デノン創業110周年記念コンテンツ3 アンプ開発者 新井孝インタビュー
デノンは2020年10月1日に創業110周年を迎えます。デノンオフィシャルブログでは110周年を記念しデノンの歴史や音に対する哲学、ものづくりへの思い、記念碑的なプロダクト、キーパーソンへのインタビューなどをシリーズでお送りします。第3回は1990年代からデノンのアンプの開発に携わってきた新井孝に話を聞きました。
デノンのパワーアンプの歴史は電蓄の時代にまで遡る
●新井さんには、デノンオフィシャルブログでは何度もHi-Fiアンプのインタビューを受けていただいています。今回はデノン創業110周年イヤーということで、パワーアンプを中心にデノンの歴史についておうかがいします。デノンはアンプの歴史も古いのでしょうか。
新井:そうですね。110周年の最初のほうは蓄音機ですが、それが電蓄と言われる電気を使った蓄音機になった時からアンプは存在しています。電気的な増幅があってスピーカーを鳴らすわけですから、もうアンプがあったわけです。
今まで新井が登場したデノンオフィシャルブログのエントリーは以下です。
こちらもぜひご覧ください。
●新井さんが初めてデノンのアンプを意識したのはいつですか。
新井:高校生ぐらいの頃にオーディオが好きになったのですが、当時デノンにはPMA-950とか、PMA-970っていうプリメインアンプがあって、それに憧れましたね。もちろんもっと高いセパレートアンプもあったわけですが、当時高校生の私にとってはセパレートアンプなんて雲の上の存在ですから「欲しい」とも思えませんでしたが、PMA-950なら大学生になってアルバイトすれば買えるかな、という感じでした。
↑プリメインアンプPMA-980(デノンミュージアム) 詳細はこちらをご覧ください
●新井さんはその後、デノンに入社することになるわけですね。
新井:はい。入社したのは86年なんですけど、最初は業務機器の担当となり、パソコンに使うディスプレイの設計や、DJ用CDプレーヤーの設計などを行っていました。アンプ開発のセクションに異動になったのは94年。アンプで最初に手掛けたのはカラオケ用のアンプでした。
最高の技術で理想の音質を実現した「S1」がデノンアンプの源流
●新井さんがHi-Fiアンプに関わり始めたのはいつごろですか。
新井:民生用のHi-Fiアンプを手掛けるようになったのは95年ぐらいからです。そこからはずっとHi-Fiアンプ畑なので、かれこれ25年、Hi-Fiアンプの設計に携わっています。
●新井さんがHi-Fiアンプの設計を始めた90年代当時のデノンのアンプはどんな評価だったのですか。
新井:当時海外ではそこそこ売れていましたが、国内では全然売れてなかったんですよ。国内の市場シェアは複数の他社で占められていました。そんな状況で、デノンは93年ぐらいから、新しい最上位機種のS1シリーズを出し始めていました。
●S1シリーズとはどんなモデルですか。
新井:S1とはSensitive One = 「感性に訴えかけるもの」を意味しているのですが、とにかく技術を結集して最高のものを作ろうというシリーズがS1でした。バブルという時代背景もあったと思うのですが、当時考えられる最高のものをということで開発されたHi-FiオーディオシステムでCDプレーヤーもアンプもありました。ちなみにパワーアンプに関しては一人では動かせないような重さのアンプでした。
●一人では動かせないアンプ?
新井:はい。POA-S1というモノラルのアンプでしたが、1つで79キロあるので。開発や音質検討を行うためにアンプを机の高さまで上げる専用の油圧ジャッキ付き台車を買ったぐらいでした。
●モノラルアンプということは、ステレオ再生のためには2台のPOA-S1が必要ですね。
新井:そうなんです。しかもプリアンプであるPRA-S1はバランス構成のプリアンプで、コントロールユニットとパワーサプライユニットが独立している2シャーシ構成でした。
↑モノラルパワーアンプPOA-S1(デノンミュージアム)
POA-S1については以下のデノンブログのエントリーもぜひご覧ください。
↑左上段の2段積みになっているのがステレオプリアンプ PRA-S1(デノンミュージアム)
●ではコントロール部分、電源部分、そしてモノラルアンプが2つで4つのユニットが必要なんですね。
新井:はい。
●すごいですね。
新井:当時の工場長が、とにかく最高のものを作れと言ってくれました。モノラルアンプが1台200万円、2台で400万円、そしてプリアンプのPRA-S1が150万円でした。
●デノンがそれまでに培って技術を惜しみなく入れ込んだ、ということですか。
新井:それだけでなく、むしろ今までにない新しい技術を投入したことに意義がありました。
●新しい技術とはどんなものだったのでしょうか。
新井:まずはオーディオ回路としては初めて採用された、UHC-MOS(Ultra High Current-MOS)です。これは1つの素子で大電流が流せるものです。当時は研究部があり、開発部門と特性を検討しながらさまざまな半導体を探し、結局産業用の半導体を使いました。
●オーディオ用のものではなく?
新井:当時オーディオ用では、我々が求めているほどの大電流を出せる素子がありませんでした。それで当時の担当者、私の同期でしたが、彼が半年間、単身で川崎の寮に入ってUHC-MOSに使える大容量の素子を探し、それをオーディオ用に使うためにはどうしたらいいのかを研究をしました。
●それで産業用の半導体の中から見つかったんですね。
新井:はい。ただオーディオ用ではないということで、実際にはいろんな制約がありました。それをクリアしてオーディオ用に使えるようにする研究が大変でした。主に回路的な工夫ですね。
●その他にS1に投入された新技術はありますか。
新井:内部に砂型鋳物を使ったことも斬新でした。
●それはどういう風に使われていたのですか。
新井:金色のアルミ板の内側に、砂型鋳物のシャーシがあって、そこにパーツを載せました。それによって余計な振動を徹底的に排除できます。ただ砂型の鋳物はある程度厚みが必要であるため、どうしてもシャーシがある程度以上の大きさになってしまいます。
●シャーシの中に太い鋳物のフレームがあるわけですよね。
新井:そうです。砂型で作ったフレームに対して、マシニングでパネルやパーツを取りつけるところを削って平面を出したり、ネジ穴を開けたりするわけです。これもそれまでのオーディオにはない方法でした。
↑モノラルパワーアンプPOA-S1のカタログ
●初めてづくしですね。デノンの110年の中のアンプの歴史の中で、このS1というのは一番エポックなのでしょうか。
新井:はい、デノンのアンプに歴史において欠かせない製品だと思います。
●S1で初めて採用した技術がブレイクスルーとなって、デノンアンプの伝統として今なお脈々と使われているものも多いようですね。
新井:デノンアンプの核心ともいえるUHC-MOSや全段バランス構成のアンプなどは、現在のデノンアンプのルーツと言っていいと思います。
●デノンアンプは、音的にはどんな特長があるのでしょうか。
新井:一貫して私が言っているのは「繊細さと力強さの両立」です。これがUHC-MOSの特長です。
●それはUHC-MOSが瞬時に大容量の電流が流せるから実現できるのですか。
新井:「力強さ」の部分はそうですし、シングルプッシュプル回路なので信号を1カ所で増幅できることが、「繊細さ」の実現に寄与しています。
●このS1がデノンのプリメインアンプの源流となっていくわけですね。
新井:まさにそうです。
四半世紀にわたりモデルチェンジを続けるPMA-2000シリーズ
●新井さんがデノンのアンプづくりに長年携わってきて、思い出深い製品はありますか。
新井:私が関わったモデルで、今もシリーズとして続いているものにPMA-2000シリーズがあります。現行のモデルはPMA-2500NEとなっており、すでに2000を超えた品番になっています。PMA-2000シリーズが7世代続いて、その後、現行のPMA-2500NEになっていて、そこまで入れると8世代続いているモデルということになります。
↑プリメインアンプPMA-2500NE
●PMA-2000シリーズは四半世紀にわたってモデルチェンジしながら受け継がれてきたモデルということになりますが、新井さんとしてはどのモデルが印象深いですか。
新井:やっぱり初代ですね。それまでデノンのアンプは国内ではあまり売れていなかったので、PMA-2000の開発の時にはそれまでのアンプの開発プロセスを変えて全部新規で開発しました。
↑プリメインアンプ PMA-2000(デノンミュージアム)
●デノンのアンプを変えていこうという意気込みだったのでしょうか。
新井:そうです。ですから当時売れていた他社のアンプを全面的に上回るという目標で設計しました。
●それは技術的にも大変ですよね。
新井:出力や歪みという技術の面だけではなく、商品としての魅力でも上回ろうと考えました。ですから、まず強力なアンプとするために、結果的に大きく、重くなりました。当時のデノンのアンプは同価格帯のものと比べると小さくて軽かったのです。その頃のオーディオ機器においてサイズが大きいということは重要なファクターでした。当時の評論家のある先生は、なんでも体重計に乗せて重量を測って、それを評価基準の1つにしていましたから。
●ほかにはどんな工夫をされたのですか。
新井:S1で高い評価を得たUHC-MOSを採用しました。ただS1は採算度外視の高い素子だったので、同じ物は使えません。PMA-2000は定価10万円で売るモデルなので、そのコストにあうもので大電流が流せるようなものをまた探さなくてはなりませんでした。
●それはまた大変ですね。
新井:大変だった上に想定外のトラブルもありました。最初に、私がいい素子を見つけたんですよ。それを使って試作もテストもしていたんですが、急にその素子が発売されなくなってしまったんです。驚きました。それで、また素子を探すという振り出しに戻って、最終的にはなんとか別のものを見つけました。
いずれにしてもライバル機と同価格帯で勝負したかったので、定価は10万円と決まっていましたが、採算上は14〜15万円で売らないと利益が出ないほどの材料費がかかっていました。ですから、当時の課長からは「これが売れなかったら、もうアンプはやめるから」と言われました。
●そしてPMA-2000は大ヒットしたんですね。
新井:はい。多くのオーディオファンの方々に非常に高い関心を持って迎えられ、ヒットしました。そして現在まで続くようなロングセラーのシリーズとなっています。今も優れたコンストラクションとして活用していますし、PMA-2000の時に起こした金型の一部は変えていません。
●それだけ完成度が高かったということですね。PMA-2000がヒットした理由はどんなところにあったのでしょうか。
新井:やはりS1で高く評価されたデノンならではの「繊細さと力強さの両立」を、10万円という価格で実現したところだと思います。
それによって「これがデノンアンプの音だ」ということを示すことができたと思いますし、現在ラインナップしているPMA-2500NEは、デノンアンプとしても屋台骨というか、中心的なアンプですから、まさにデノンの音を体現しているアンプと言っていいのではないでしょうか。
アンプの働きはシンプルだが、つながるスピーカーやプレーヤーの進化で求められるものが変わってくる
●今後デノンのアンプはどんな進化をしていくのでしょうか。
新井:アンプの機能とはシンプルで、入ってきた音声信号を大きくすること、拡大コピーすることなんです。それによって音楽を正確に再現することは変わらないと思います。また、またデノンのアンプの特長である「繊細さと力強さの両立」や、デノンの新たなサウンドフィロソフィーである「Vivid & Spacious」も受け継がれて行くと思います。
ただ、アンプは単独では音が出ません。音源であるプレーヤーから信号を受け取り、そして実際に音を鳴らすスピーカーへと受け渡してはじめて音楽が再生されます。ですから、つながる相手が変わることで求められる能力が変わってくると思います。
たとえば、スピーカーに関しては38センチのウーファーのようなかつてよく使われた大きいスピーカーは、昨今ではあまり使われなくなりましたので、アンプ側で瞬間的に大きな電力が必要なケースは減りました。その一方で音源はSACDやハイレゾ音源が増えてきて、より高密度化した音源が増えてきました。そのためにアンプには、より繊細で緻密な音をどこまで正確に増幅できるか、が求められていると思います。アンプもそうした方向に今後進化していくのではないでしょうか。
今日はありがとうございました。
(編集部I)