素顔の音楽家たち第5回 リヒャルト・シュトラウスと、その悪妻
後世の人を魅了する素晴らしい音楽を創造した作曲家、演奏家たちって、もし隣にいたら一体どんな人物だったんだろう、と思うことがありませんか。今回の「素顔の音楽家たち」は、リヒャルト・シュトラウスと、その悪妻について。
リヒャルト・シュトラウスといえば、なんといっても、スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』の冒頭シーンでかかる、交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》の導入部が有名です。
と、申しましょうか……それ以外は日本ではそれほど知られていない作曲家といえるかもしれません。
そこで、まず、基本的な情報を少しご説明しておきましょう。
リヒャルト・シュトラウスは、1864年生まれのドイツの作曲家。
85歳まで長生きした人で、亡くなったのは1949年、つまり昭和24年ですから、けっこう最近の人です。
実際、彼が指揮した音源も数多く残っています。
実はシュトラウスのお父さんは、あのワーグナーも一目置いていた大変優秀なホルン奏者でした。
彼がそんなお父さんに音楽を習い始めたのが5歳の頃。
その後、間もなくして作曲も始め、12歳にして本格的作品第1号となる《祝典行進曲》を書いています。
いわゆる、神童タイプだったわけです。
若くして世に出たあとは、生涯にわたって基本的に順調な作曲家人生を送り、オペラ《サロメ》や《ばらの騎士》のほか、交響詩の傑作などを世に残しました。
シュトラウスは、19世紀後半から20世紀にかけて活躍した、後期ロマン派を代表する大作曲家だったわけですが、実は彼には、“守銭奴”という、あまりよろしくないイメージがつきまとっていました。
ギャラさえ良ければどんな仕事でも受けてしまうところがあったからです。
シュトラウスの守銭奴ぶりをうかがわせる有名なエピソードに、アメリカ公演の際にデパートで演奏した、という話があります。
当時のドイツの人々は、国を代表する芸術家が金のためにそんなところで演奏するなんてみっともない、と思ったのでしょう。
シュトラウスは、そんな批判に対して、「妻子のために稼ぐのが、やましいことでしょうか」と、平然と返したといわれています。
シュトラウスがせっせと稼いだ理由は、本人の性格もあったのかもしれませんが、奥さんの影響も大きかったようです。
彼の妻はパウリーネというソプラノ歌手で、もともと、シュトラウスの弟子でした。約7年間師弟関係を続けた後に結婚し、やがて息子が一人生まれています。
パウリーネは、いわゆる“悪妻”として有名でした。
大変な癇癪持ちで、人前でもたびたび感情を爆発させ、シュトラウスのことを罵倒していたのだとか。
お金にはかなりうるさく、おかげでシュトラウスはいつもお小遣いが足りず、楽団員相手にカードゲームで賭けをして、せっせと小銭を稼いでいたといわれています。
それでもシュトラウスは“尻に敷かれ”ていた方が性に合うタイプだったようで、パウリーネとはなんだかんだ言って、うまくいっていました。
そんなふたりの関係を物語るこんな話も伝わっています。シュトラウスがオペラ《火の危機》を発表したときのこと。
パウリーネは人前でその新作とシュトラウスをけちょんけちょんにけなしました。
それでもシュトラウスは嫌な顔もせずに、「私にはこういう妻が必要なんです」と周囲に語ったのだとか……。
実際、しっかり者のパウリーネは、シュトラウスにとっては決して“悪妻”ではなかったのでしょう。
彼女に尻を叩かれていたおかげで、シュトラウスは傑作を作り続け、財産を蓄え、満ち足りた人生をまっとうできたといえるのかもしれません。
とはいうものの……さすがにシュトラウスもパウリーネが口うるさい女だとは思っていたようで、彼女がガミガミ言う様子を表現したフレーズを、交響詩《英雄の生涯》や《家庭交響曲》といった自伝的作品に織り込んでいます。
《家庭交響曲》の第4部では、子どもの教育方針を巡ってシュトラウスと妻が激しく言い争うところから和解に至るまでが音楽で表現されていて、バイオリンの音がヒステリックに盛り上がっていくところなどは、まさに夫婦喧嘩そのもの。
シュトラウス一家の日常を体感してみたいという方は、どうぞ、CDでお楽しみください。
アーティスト名:ヘルベルト・フォン・カラヤン
アルバム・タイトル:「リヒャルト・シュトラウス:家庭交響曲」
発売元:ワーナーミュージック・ジャパン
(ライター 上原章江)
『クラシック・ゴシップ!』 〜いい男。ダメな男。歴史を作った作曲家の素顔〜
上原章江 著 ヤマハミュージックメディア