もっと楽しくクラシック「指揮者はいつ誕生したの?」
「クラシックは興味があるけど、敷居が高くって」。そんな初心者のために新コーナー「もっと楽しく、クラシック」が誕生。第一回は指揮者について。実は今のような専門の指揮者って、わりと最近まで存在しなかったのだとか。ご存じでしたか?
クラシック初心者の方々の中には、「指揮者って、とどのつまり、一体何をしているの?」という疑問を持たれる方が多いようです。
そこで今回は、「指揮者」が生まれてきた歴史をたどりつつ、その役割について考えてみたいと思います。
「指揮者とは?」と聞かれれば、「オーケストラなどで、演奏する曲のテンポ、強弱、表情などを指示し、演奏全体を統率する人」ということになるでしょう。
複数の人間が集まって合奏する際、少なくとも、始まりの合図やテンポを指示する人は必要になります。
ちょっと乱暴な言い方ですが、それさえできる人がいれば、最低限、合奏は成り立つ、とも言えます。
実際、バロック音楽の時代の指揮といえば、テンポをキープすることこそが、最大の役割でした。
ちなみに、当時の指揮については、フランスで活躍した作曲家・リュリの逸話が有名です。
その頃は、杖のような長い棒を床に打ち付けてリズムをとって指揮をしていたのですが、ある日、リュリは指揮の最中に誤って自分の足を棒で突いてしまい、そのケガが原因となって急死してしまったそうです。
その後、バッハ、ハイドン、モーツァルトらの時代になっても、現代のような「指揮者」は存在しませんでした。
コンサートマスターや、楽長と呼ばれる人が、始まりの合図やテンポ、強弱の指示などを出していたのです。
楽長とは、文字通り“楽団の長”で、そのオーケストラ全体の管理に始まり、そこで演奏する曲の作曲や編曲なども担当していました。
たとえば、ハイドンは、エステルハージ侯爵家お抱えオーケストラの楽長でした。
つまり、作曲家自身が、自分の作品の演奏時に指揮を行うことが多かったのです。
しかし、19世紀に入って、もっと専門的に指揮を行う人物が必要になってきました。
その主な理由として、1つは、曲の編成などが複雑化してきたこと。
そしてもう1つには、演奏会で演奏される曲の幅が広がってきたことが挙げられるでしょう。
かつて演奏会では、昔の作曲家の作品はあまり演奏されませんでした。
しかし、その頃になると、過去の作曲家の作品も演奏会で取り上げられるようになっていきます。
過去の作品となると、作曲者の意向は直接聞けませんから、すべては楽譜から読み取って演奏することになります。
しかし、そもそも作曲者が楽譜に書き込めることには、限界があります。
このため、オーケストラで演奏する際、「譜面を読んで曲を解釈し、演奏の基本方針を決める人」が必要になってきました。
そしてその人が、リハーサルで基本方針を演奏者たちに伝え、本番でそれを実現させるためにオーケストラを統率するようになってきたのです。
こうした流れが、現代の指揮者の役割へとつながっていきました。
実は、現代の指揮者の原型を作ったのは、メンデルスゾーンだと言われています。
今ではお馴染みの、指揮棒を振って指揮をするスタイルを初めて取り入れたのは、かの天才作曲家でした。
メンデルスゾーンは、1835年、26歳のときにライプツィヒ・ケヴァントハウス管弦楽団の指揮者となり、自作品だけでなく、さまざまな作曲家の作品をとりあげ、専門の指揮者としてオーケストラを指導しました。
彼がその後の指揮者の歴史に与えた影響は計り知れません。
作曲家の兼任ではなく、独立した職業としての指揮者が出始めるのは、メンデルスゾーンの少し後ぐらいです。
その頃から、指揮者の役割はいっそう大きくなり、テンポや強弱の変化のつけ方、メロディーの歌い方など、より細やかな指示を出すようになっていきます。
実際のところ、同じ曲でも指揮者によってかなり演奏が違ってきます。
そんな指揮者の違いがよくわかる曲といえば、何と言っても、ベートーヴェン《交響曲第5番》「運命」が有名でしょう。
特に、歴史的二大巨頭であるフルトヴェングラーとカラヤンの指揮の違いは、冒頭を聞いただけでも歴然!それはもう、誰でも、ハッキリ違いがわかります。
この機会に、ぜひ、聞き比べてみてください。
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(ライター上原章江)
『クラシック・ゴシップ!』 ~いい男。ダメな男。歴史を作った作曲家の素顔~
上原章江 著 ヤマハミュージックメディア