AH-C820W開発者インタビュー
デノンから低音再生で人気が高いインイヤーヘッドホンAH-C820をワイヤレス化したAH-C820Wが発売されました。その開発の経緯やこだわりのポイントについて開発者である成沢真弥、そしてクアルコムシニアマーケティングマネージャーの大島 勉氏にインタビューしました。
最もデノンらしいインイヤーヘッドホンをワイヤレス化する
●デノンのインイヤーヘッドホンは今までAH-C160W などスポーツタイプがメインでしたが、このたびAH-C820をワイヤレス化したのはどうしてですか。
成沢:Bluetoothのインイヤーヘッドホンは非常に需要が高くなってきますので、デノンでも新しいモデルを作ろうという話になりましたが、すでに世の中にたくさんBluetoothのインイヤーヘッドホンが存在していますから、今さらありきたりなものを出しても仕方がない、ということで、最もデノンらしいサウンドのAH-C820をワイヤレス化しよう、ということになりました。
↑AH-C820Wの開発を担当したGPDエンジニアリング成沢真弥
●AH-C820はデノンのインイヤーヘッドホンのフラッグシップモデルですし、低音を出すためにドライバーが大型で特殊だったりと技術的にハードルが高い面もあったのではないでしょうか。
成沢:もちろん、それはありました。ただデノンがワイヤレスをやるならやっぱりデノンらしいモデルから作りたかったと考えました。
●となるとAH-C820をベースにすることで、いろんなことが決まっていったのでしょうか。
成沢:はい。まず完全独立ワイヤレスは物量的に難しいと判断しました。なぜならAH-C820のサウンドの核心であるダブル・エアーコンプレッション・ドライバーが完全独立ワイヤレスには大きすぎるからです。またワイヤレス化するとバッテリーが必要となりますが、使える時間の長さを考えるとバッテリーにもある程度の質量が必要ですから、その分も確保しなくてはならない、ということで、AH-C820Wはネックバンド式を選択しました。
↑11.5mmダブル・エアーコンプレッション・ドライバーが搭載されたAH-C820Wのドライバー部分
●AH-C820のサウンドはやはりダブル・エアーコンプレッション・ドライバーがカギになっているということでしょうか。
成沢:その通りです。ダブル・エアーコンプレッション・ドライバーは2基のダイナミック型ドライバーが向き合って配置されており、正相で駆動します。それによって仮想的に振動板の面積が2倍になりますので、超低域まで再生ができ、質感の高いサウンドが実現できるわけです。これがAH-C820のサウンドのキモであり、AH-C820Wにもそのまま入っています。また2つのドライバーに直接つながるOFCデュアル・ダイレクトケーブルもそのまま継承しています。
↑AH-C820Wのドライバー部分。2基のダイナミック型ドライバーが向かい合わせて配置されている特許取得の新方式ドライバー
ワイヤレスで高音質を実現するための「aptX™ Low Latency」
●今回aptX、そしてaptX Low Latencyに対応したのはどうしてでしょうか。
成沢:やはりBluetoothで高音質を実現するためにはaptXは不可欠だと考えました。
●ここからはaptXの開発元であるクアルコムの大島さんにうかがいます。aptXはなぜワイヤレスで高音質を実現しているのでしょうか。
大島:Bluetoothで通信するためには圧縮が必要ですが、クアルコムでは音楽をよく知っている人間がその圧縮のアルゴリズムを開発しているのです。これがほかの会社とはちょっと違う点です。また圧縮量をかせぐために複雑な数式を何段も組む、ということもしていません。それによっても音が変わってしまいますから。いわば原音に忠実に圧縮を行うためのアルゴリズムを我々は持っているわけです。これが私たちの特許技術です。
↑クアルコムシニアマーケティングマネージャー大島 勉氏
●今回はさらに遅延が少ないaptX Low Latencyにも対応しました。どの程度遅延が少なくなっているのでしょうか。
大島:aptXが70msec(±10msec)の遅延量であったのに対し、aptX Low Latencyは40msec以内とより低遅延になっています。他のコーデックが100msec以上なので、もともとaptXは遅延が少ないほうでしたが、さらに遅延が少なくなりました。ですからテレビやウェブの動画サイトを見ても音が遅れて聴こえると感じることは少ないと思います。
成沢:一般の人が音に関して遅延を感じるのは200msecぐらいからと言われていますから、それにくらべると非常に短いです。aptX Low Latencyの40msecというのはほとんど遅れたとは感じられないと思います。ただaptXを選んだのは遅延が少ないということだけではありません。
●aptXにはほかにどんなメリットがあるのでしょうか。
成沢:高音質のコーデックは一般的にデータ量が増えますので、遅延だけでなく音が切れやすいというデメリットがあります。aptXは他の高音質のコーデックよりも音切れがしにくい、それもメリットのひとつです。さらにaptXのチップには強力なDSPが入っています。我々としては音に色づけはしませんが、音作りには力強いツールになります。
●つまり、音が良くて音切れがなく、遅延も少ないのはaptX、そしてaptX Low Latencyということでしょうか。
成沢:そのとおりです。
大島:ありがとうございます(笑)。
●またAH-C820WにはComply™TZ-500と5種類のシリコンイヤーチップが付属しているそうですね。
成沢:はい。従来はコンプライ、そしてL、M、Sでしたが、今回はそれ加えてLONG M、LONG Sというイヤーチップを新たに付属させています。
↑AH-C820Wに付属するイヤーチップ。コンプライは購入時に本体に装着されている
●コンプライについてはデノンブログでコンプライの「イヤーチップについてComply™ の塩崎さんに聞きました」 でうかがいましたが、シリコンの新しいLONG M、LONG Sとはどんなイヤーチップなのでしょうか。
成沢:実はユーザーの方からシリコンタイプのイヤーチップが耳の奥まで入りにくい、という声が寄せられることがありました。そんな声にお答えしたのがLONG M、LONG Sです。
↑イヤーチップを裏返したところ。左が普通のタイプで、右側がロングタイプ。ロングのステム(軸)が長いのがわかる
成沢:こうして裏から見ていただくと分かるように、ステムと呼ばれる軸の部分が長くなっています。これによって今までより耳の奥のほうまでイヤーチップを入れることができます。
ネックバンドの形状、そしてどこからどの長さでケーブルを出すのか。
●今回、AH-C820Wの開発でどんな点に苦労しましたか。
成沢:デノンとしては初めてのネックバンド式のBluetoothインナーイヤーヘッドホンでしたので、まずどんなネックバンドにするのか、その形状や素材についていろいろ試作をしてためしました。
●ネックバンドの形状はそんなにブランドによってまちまちなのでしょうか。
成沢:はい。結構違いますね。硬いものはガッチリしていますし、柔らかいもの、軽いものだと動くとブレてしまいます。このあたりは着け心地に直結するので大切な部分で、いろいろ試作を繰り返しては検証しました。また今回は新しい形状ということで、特にケーブルの出し方には苦労しました。
●「ケーブルの出し方」とはどういうことですか。
成沢:ネックバンドのどこからケーブルを出すか、ということです。これも各社いろいろで、先端から出ているモデルもあります。我々も色々実験しましたが、首を回したりした時に一番邪魔にならない場所はどこかと実験してみたところ、耳の真下あたりから、外に向かってケーブルを出すのが、もっともストレスがかからないことが分かりました。ケーブルを出すのが耳から遠い場所だとケーブルが長くなるので首回りがかなり鬱陶しくなってしまうのです。また人によっては耳裏を通して上からヘッドホンをいれる装着方法を好まれる方もいますので、その装着方法でも余裕が出せるケーブルの長さにしています。
↑耳の真下あたりからケーブルが外側に出されている
↑耳の上からケーブルを回して装着する方法にも対応
●AH-C820Wはワイヤレス化以外でも苦労が多かったのですね。
成沢:やはりはじめてのネックバンド式ということで、形状ではいろいろ試行を重ねました。ヘッドホンはプリアンプやCDプレーヤーのように機能や音だけで評価されるわけではなく、音や機能に加えて装着感やデザインがかなり大きな比重を占めます。どんなに音が良くても装着感がお客様に悪ければ使っていただけないのです。人が身につけるウェアラブルなオーディオ機器ですから、そこにはやはり開発の重点を置かなくてはならないと思っています。
●大島さん、aptX、aptX Low Latencyは非常に多くのデバイスに採用されていますが、AH-C820Wは試聴してみていかがだったでしょうか。
大島:とてもデノンらしい、素晴らしい音だと思いました。デザインも高級感に溢れていて、見ただけでもいい音だと分かりますね。
●aptXを搭載していても、やはり音はモデルごとに全然違うのでしょうか。
大島:もちろん音は全くメーカーによって違います。われわれが提供しているaptXは単なるツールです。ですから我々にとって音を大事にして作ってくださるメーカーさんはとても大切なんです。料理でいえば我々の技術は単なる素材に過ぎなくて、製品化に際しては音のシェフの方々にお任せするわけです。デノンさんのようにしっかりとした製品を作ってくださるメーカーさんがいらっしゃることは、我々のブランドのためにも非常に重要です。お客様は、aptXのクオリティをその製品で判断されるわけですから。成沢さん、いいモデルを作っていただき、ありがとうございました。
●本日はありがとうございました。近々、編集部でもAH-C820Wを試聴してみたいと思います。
(編集部I)