コロムビアレコードのエンジニアが語る「レコードの魅力」アウトテイク
デノンから新しく発売されたレコードプレーヤーDP-400、DP-450USBのスペシャルコンテンツに日本コロムビアのマスタリングエンジニアの方のインタビューが掲載されています。
今回はコロムビアのスタジオにあるカッティングマシンのお話など、スペースの都合でスペシャルサイトに掲載できなかった内容をアウトテイクとしてお送りします。
日本コロムビア株式会社
A&C本部スタジオ技術部 チーフマスタリングエンジニア 田林正弘さん(写真右)、
A&C本部 スタジオ技術部長 冬木真吾さん(写真左)
●今回は日本コロムビアのマスタリングスタジオをお訪ねしました。スタジオの隅にあるレコードプレーヤーのような大きな機械はなんでしょうか。
田林:これはレコードのカッティングマシンです。
●カッティングマシンとは?
田林:レコードを作る際の原盤となる「ラッカー盤」を作るための機械です。
このマスタリングスタジオではレコーディングの最終工程としてマスタリングを行いますが、アナログレコード用の音源であればさらにラッカー盤を制作します。
そのためにカッティングマシンが設置されています。
日本コロムビア株式会社 A&C本部スタジオ技術部 チーフマスタリングエンジニア 田林正弘さん
●数年前はレコードのカッティングマシンは日本では数台しか稼動していない、と聞いていました。
冬木:はい、ご認識のとおり数年前まではこのコロムビアのスタジオを含めて、国内では3カ所ぐらいしか稼動していなかったと思いますが、近年はアナログレコードの人気が出てきて、国内でも稼動しているカッティングマシンが増えてきました。
日本コロムビア株式会社 A&C本部 スタジオ技術部長 冬木真吾さん
●せっかくの機会なのでカッティングマシンについて教えてください。この機械はどんな仕組みになっているのでしょうか。
田林:カッティングマシンは、まっさらで溝のない状態のラッカー盤に音溝を刻むための機械です。ちなみにこちらが音が入っていない未使用のラッカー盤です。
↑アルミの板にラッカーの樹脂が塗布されたラッカー盤。溝が切られていない未使用のもの
田林:このラッカー盤に音溝を刻んだものが原盤となります。ラッカー盤からアナログレコードをプレスするための「スタンパー」を起こし、スタンパーをプレスしてレコード盤が作られるんです。
●全く溝がないレコード盤は初めて見ました。これを直接カッティングマシンのターンテーブルにセットして針で音溝を刻むのですか。
田林:はい。まずラッカー盤をターンテーブルに置きます。
このカッティングマシンのターンテーブルには小さな穴が空いていますが、この穴から空気を吸引することでラッカー盤をターンテーブルに密着させます。
これは盤の凹凸やわずかな反りを吸収して平滑性を高めるためです。
↑カッティングマシンのターンテーブル。ラッカー盤を吸着するための小さな空気穴が空いている
田林:そしてこれがカッターヘッドです。一番下にあるカッティング用の針が音溝を掘っていきます。
↑黄色い△マークがあるのがカッターヘッド。その下にあるちいさな突起がラッカー盤に音溝を刻むカッティング針
●CDのようにデータではなく、実際に盤を削って音を記録する、見える形で音が残されるのがアナログレコードらしくて面白いです。
田林:見える形、という意味では実際に我々も音溝をよく観ます。
というのもカッティングマシンには音溝を観るための顕微鏡がついていて、最終的なカッティングの後で音溝が隣の音溝に近づきすぎていないかをチェックする過程があるんです。
↑溝を確認するためにカッティングマシンに装備されている顕微鏡
↑顕微鏡で見て音溝の状況を確認する
●なぜカッティングの後で顕微鏡による視認が必要なのですか。
田林:レコードに大きな音を記録すると溝がうねるんです。そのうねった音溝が隣の音溝に近すぎるとお客様がレコードを再生した時に針が飛んでしまうんですね。
針が飛ぶかどうかは削ったラッカー盤を再生すれば分かるのですが、ラッカー盤の音溝は非常に柔らかいので一度針を通してしまうと工場に送る原盤としては使えないんですよ。
ですからテストの時までは試聴できますが、実際に工場に送る原盤そのものは針を通すことができません。
それで最後は顕微鏡での音溝の確認が必要になるんです。
↑カッティングマシンの顕微鏡で見た音溝。音溝が蛇行している部分が音量が大きい場所。隣の溝に近すぎると針飛びの原因となる
↑削られたばかりのラッカー原盤。カッティングマシンの奥に見えるタンクはヘリウムガス。熱を持ちやすいカッターヘッドを冷却するために使用される
●このカッティングマシンはどこで作られたものなのですか。
田林:ドイツ製のNEUMANN(ノイマン) VMS70というカッティングマシンです。
1970年代に作られたもので、カッティングマシンとしては世界中で使われているスタンダードなものです。
●よく見るとノイマンのロゴの下にデノンのロゴも入っていますね。これはどうしてですか。
↑カッティングマシンのGEORG NEUMANNのロゴの下にDenonのロゴが取り付けられている
田林:実はこのカッティングマシンにはオリジナルの改造が施されています。
ターンテーブルを回すメカニズムが弱かったので、当時の日本コロムビアのオーディオ部門であったデノン(当時はデンオン)で開発したカッティングレース用のダイレクトドライブモーターに入れ替えてあります。
冬木:このカッティングマシンは今もメンテナンスをしながら現役で使い続けていますが、デノンのダイレクトドライブのモーターは非常に精度が高いです。
↑コロムビアスタジオが保有するNEUMANN VMS70はターンテーブルがデノン製のモーターに換装されている
●カッティングマシンの横にあるラックはなんでしょうか。
冬木:我々はこれをカッティングアンプと呼んでいますが、ここでカッティングに必要なRIAAカーブなどのイコライジング処理を行い、カッターヘッドの駆動を行っています。
※RIAAカーブについては超初心者のための「フォノイコライザーって何?」をご覧ください。
↑カッティングマシンの横のラックに設置されたSAL748ここで RIAAカーブなどを設定する
●最近ではCDとレコードが同時にリリースされることもありますが、CDとレコードは別々のマスタリングを施すのでしょうか。
田林:同じマスタリングの音源からCDとレコードを作る場合もありますが、多くの場合はCD用とレコード用では別のマスタリングを行っています。
●CDとレコードのマスタリングでは、どんな点が違うのでしょうか。
田林:CDとレコードでは高域の周波数の伸び方が全然違うので、アプローチが異なってきます。
CDは20kHzまで高域が入りますが、レコードはどうしても高域が歪みやすいので、ギリギリのところで抑える必要があります。
冬木:レコードは収録できる帯域自体はCDより広いのですが、歪に対しては弱い傾向があります。
CDは輪郭を強調したマスタリングがしやすいのですが、レコードでそれをやるとすぐに歪んでしまいます。
ですからレコードでは別のアプローチで、自然さを目指したマスタリングをすることが多いですね。
●CDとレコードのマスタリングで、高域以外にも違う点はありますか。
冬木:ダイナミックレンジですね。レコードのダイナミックレンジはCDよりもかなり小さいです。
CDは96㏈ぐらい使えますがレコードは50㏈ぐらいしか使えません。
田林:レコードって針を載せたときに「ザー」っていうサーフェスノイズがありますよね。
レコードの場合、録音したものをそのままレコードにしちゃうと、非常に小さい音に関してはどうしてもそのノイズに埋もれてしまいます。
それだと商品としては困るので、聴こえるレベルまでそこの部分を上げるなどのアプローチが必要です。そのあたりがCDのマスタリングとは違うところです。
冬木:それと圧倒的に違うのは収録時間ですね。CDは74分まで録音できますが、レコードにはA面とB面がありますし、片面で20分ちょっとしか収録できません。
田林:カッティングでたまに失敗することがあるんですけど、失敗の原因は収録時間であることが多いです。
先ほどお話したように、レコードに大きな音を入れると音溝がうねり、その結果溝が広くなるという特性がありますが、溝が広くなるとその面のトータルの収録時間は短くなってしまいます。
たとえば片面20分のアルバムがあったとして、20分間音楽を入れるためにはどれくらいのレベルで切れるのかというのを、ある程度テストしながらやるんです。
テストしている最中に最後の曲があと10秒くらいあるのにレコードの溝が切れなくなってしまったらタイムオーバーです。
もう少しレベルを下げるなりして、レコードに納まるまでレベルを調整しなくてはなりません。
冬木:それとレコードでは曲順も重要です。
レコードにはA面とB面という2つの面があって、各面で曲順が後になるほど、音溝が内側になります。
つまり、周回する円の直径が小さくなります。そうするとカーブがきつくなるので、曲順が後ろになると大きな音は入れにくいのです。
だからレコードの時代は最初の方にタイトル曲や元気がある曲を入れて、最後の方はバラードで終わるという曲の流れが王道でしたが、それはレコードの特性にもあっていたわけです。
CDをレコード化する時は、そういったことも考慮して曲順を決める必要があります。
●そういえばCDには再生モードはありませんが、レコードには33とか45回転といった回転数の違いもありますよね。レコードは回転数でも音が変わるのでしょうか。
田林:そうですね。1秒間に回転するスピードが通常のLPで使う33回転より45回転のほうが速度が速いので、その分収録できる時間は短くなりますが、情報量が多くなるので音質は良くなります。
●やはり45回転のほうが音が良いんですね。
田林:はい。たとえばこれは先日私がカッティングしたレコードですが、コロムビアの80年代のロックバンドROOSTERSの復刻盤です。
12インチシングルなので45回転で再生する盤です。今回リマスターも行いましたが、自分でも納得がいく仕上がりになりました。
冬木:ROOSTERSをリアルタイムで聴いていた世代から、復刻してほしいという要望があって実現した企画でした。こうしたアナログレコードの再発の企画は最近ずいぶん増えています。
THE ROOSTERS
『C.M.C』
LP Record [Analog] Single, Limited Edition
THE ROOSTERS
『ニュールンベルグでささやいて 』
LP Record [Analog] Single, Limited Edition
●再発の場合、リマスターはどうやって行うのですか。
田林:この2作に関してはアナログテープのマスターがありましたので、そのままレコードにもできたのですが、せっかくこの時代に復刻するのだからということで、アナログの長所と最新のデジタル機器の長所を使ってリマスターを行いました。
具体的には、もともとのアナログテープを96KHzでデジタル化し、パソコン上でエフェクト処理を施して丁寧に音作りをし、それをマスターとしてレコードにカッティングした、というのが今回の形です。
冬木:アナログとデジタルのハイブリッドな手法ですね。アナログの良さと、デジタルの良さの両方があって、太さや温かさと緻密さが出ていると思います。
↑コロムビアレコードに保存されているアナログマスターテープ
●再発売されたレコードとCDとを聴き比べてみるのも面白いのではないでしょうか。
冬木:そうですね。ぜひデノンのCDプレーヤーとレコードプレーヤーで聴き比べてほしいと思います。
●最後にお二方に質問ですが、アナログレコードはこれからどのように聴かれていくとお思いですか。
冬木:アナログ独特の温かさ、ふくよかさというのは、なかなかCDでは表現できない面もありますから、これからもそういう部分は愛されていくのではないでしょうか。
田林:CDがダウンロードやストリーミングに置き換わってしまった今、レコードには「物」としての魅力があると思います。
アメリカではアナログレコードを買うと中にMP3などのダウンロードのパスワードが書いてあって、レコードはじっくり聴くときåだけ楽しみ、普段はダウンロードしたデジタルデータを聴くというスタイルになりつつあるようです。
用途やシチュエーションによってレコードで聴いたり、デジタルデータで聴いたりと使い分けていくのではないでしょうか。
冬木:たとえば通勤中とか、何かをしながら音楽を聴きたいときはストリーミングやMP3で音楽を聴いて、音楽と向かい合ってきちんと聴きたい時はレコードというスタイルになるのかもしれません。
実際レコードプレーヤーで音楽を聴く時って、針を置いたり、レコードを裏返したりと、意外と手がかかりますよね。それにプレーヤーの針が常にどういう状態かを見ていないといけないじゃないですか。
CDならスイッチを押すだけです。CDの普及以降、あまり手間暇をかけて音楽を聴くことがなくなってしまったので、レコードを聴くことで「じっくり音楽に向き合って聴く」という体験ができるのではないでしょうか。
●今日はありがとうございました。
コロムビアのスタジオに設置されているデノンのレコードプレーヤーDP-5000。カートリッジはDL-103を使用
(編集部I)